映画について私が全然知らないいろいろな事柄

@ohirunemorphine が、だらだらと映画についてあれこれ考えます。

太陽に殺される季節のおこもり映画館。(お外に出るのは命懸け)

ニッパチという言葉がある。

この時期はモノが売れないので諸々避けられるんだそうだ。

映画も例外ではないのかもしれない。知らんけど。

 

どうもピンとくる新作がなかなかこねぇなぁ

あまり映画館に通わなかったのだ。

 

そもそも都内の仕事が全くなく

往復で電車代だけで1000円かかってしまう身としては

わざわざ上京して劇場まで出掛けるなら

いっぺんで済ませてハシゴしたいし

何よりも

 

長すぎる梅雨が明けたと思ったら

太陽に殺されるレベルのクソ暑さである

台北33℃の日の都内37℃ってどういうことだ

気候が逆転してるじゃないかよ

台湾行きたい

 

とてもじゃないけど気軽に都内に行く気分にならなかったのである。

ちなみに私の住んでいる街は都内より常に2℃ほど気温が高い

駅までちょっとだけ歩くのも億劫なのだ。

 

睡眠も不安定で

西日がモロに当たってクソ暑い部屋、薄く冷房を入れてひたすら引きこもっていた。

 

しかし、

ちょっと先月の鑑賞記録を眺めていたら

16本も観ていたのだ。

そんなに。驚いた。

これにはどうやらちょっとしたカラクリがあるらしい。

  らしいってなんだよ。自分の行動だろうが。

 

まず新作。これは上京しないと観られない。

ディック・ロングはなぜ死んだのか?

ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー

この2本しか観ていない。新宿でハシゴした。

 

あと本格的に再開したアテネ・フランセのえげつないプログラムとチケット争奪戦。

中原昌也への白紙委任状『鏡の中の亀裂

ニュージャーマンシネマ特集『過激なフェルディナント』『ビール戦争

ペドロ・コスタ特集『ホース・マネー』『短編集(六つのバガテル他)

 

アンスティチュ・フランセがついに前売り制を導入し、

「そこらに並ばせとけ完売しちまったらとっとと帰せ」から進歩を遂げたわけですが

私の観測範囲ではアテネ・フランセとK's cinemaと神保町シアターがまだ博打的要素を残していますな。

早稲田松竹今敏監督特集←New!

この夏のアテネ・フランセは過酷でした。なにせ

チケット買うのに1時間以上前に並ばねばお席がご用意されない

しんどかった。上映1時間前からのチケット販売、その前1時間半前に行って並んでいないとならないという真夏の拷問。

早稲田松竹今敏監督特集←それ以上の混乱

 

しかも、しばらく閉鎖されていた直後なので堰を切ったように特集上映が次から次へと。

 

ここの上映ってほとんどレアものなんだよね。

文句があっても行かねばならない。わぁい試されてる! Mっ気試されてるぅぅぅぅ!

マスクかけて余計な熱と酸欠に苦しみつつ御茶ノ水の緩い坂道を歩くわけです。汗だく。

 

すげぇ早く行ってとっととチケット確保だけしてソバ食いに行っちゃって

帰ってきたらもうお席がなかった、というのは大失態でした。

収容人数の計算はしばしば間違えられるものであり、余分に勘定されちまった人々は

3密そのものの補助席に放り込まれ

小さなスクリーンを遠目に眺める羽目に陥ったわけでした。意識遠のいたわ。

お席はなんぞかで確保してからソバ食いに行くべし

 

そして前売りを確保して快適に観に行けたアンスティチュ・フランセ『美しき諍い女』。

これ観てるようで観てなかったんだよね。

芸術と寵愛をめぐる心理戦が4時間に渡って繰り広げられる濃密な作品。

しかし公開当時の売りは

エマニュエル・べアールのヌード一色だったような気がするんです。

ハダカのオンナに惹きよせられて4時間頑張った人の感想が聞きたい是非聞きたい。

 

ひょっとしたら、お外で観たのはこういうシネクラブの旧作と

アテネ・フランセ帰りに時間が合ったので神保町シアターで観た『ミスター・ミセス・ミス・ロンリー』くらいかもしれません。

 

好きな作品はたんまり名画座にかかっていたのですが、

配信があるとどうも出かけて行って観る気にもならず

神保町シアター80年代ノスタルジアII

スローなブギにしてくれ』『風の歌を聴け』も配信で済ませちゃったし

(わざわざ劇場と時間を合わせるという酔狂ね)

早稲田松竹でかかっていた『アンジェリカの微笑み』も同様。便利すぎてもう。

 

あと録画してあった『狼よさらば』とか

(去年観たそっくりさんの答え合わせのつもりだったんだけど、音楽がハービー・ハンコックでめっちゃかっこよかった)

妙にネットで盛り上がっていた『来る』とか(柴田理恵無双

アマプラの「傷だらけの天使」にハマってるので『青春の殺人者』とか観てたかな(市原悦子が全部持っていってもうすっかり)

 

そうそう、これすごい進化だな、と思ったのが

台湾文化センターで開催されていた上映会。

これも去年まで虎ノ門まで行かなければならなかったのが、

オンラインで開催されることになって超便利だと思いました。

ぼくの人魚姫』『ここからの未来』の2本を鑑賞。

オンライン上映のはずなのに100名限定で申し込み受付後あっという間に埋まってしまうという

レア感もしっかり残した上映形態です。

これすごいよ。申し込みさえ忘れなければ(非常にしばしば忘れる)

寝起きでもコーヒー飲みながらでも観られて

しかも解説まで聞ける。

正直言って虎ノ門の会場はあまり快適とは言い難いので、これは本当に考えた人すごい。

コロナの時代のシネクラブってこんな感じなのかもしれません。

 

もっとも、

あんまりうちの狭い方丈で全て済ませちゃうと

「人にまみれる」ということを忘れちゃう火星サバイバル状態になりかねないし

わが敬愛するシンガーソングライターダンサー様が

へーぃえびばでぃ好みのぎゃるもビデオばかり見てたなら出会う機会も失せるぜ

とおっしゃってるので

はーいはーいはーい

とレスポンスしながら

9月も都内の仕事の予定はないけど

K's cinemaでまた鬼畜な特集上映がいくつもあるので

宿取ってでもたまには劇場で観なくちゃね

 

K'sって御茶ノ水より鬼なのは

チケットの発売が

「その日朝イチの上映作品と同時に発売開始」なので

人気作観たかったら9時くらいにはいなきゃならないってことなんですわ

 

鬼だわぁぁぁぁぁ

 

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写真の1枚もない殺風景な記事なので

神保町のビャンビャン面の写真でもご覧ください

図書館映画について思ったまんま書くよ。

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コゴナダ監督『コロンバス』(2017)と

エミリオ・エステベス監督『パブリック 図書館の奇跡』(2018)と

ちょっとたまたま図書館が舞台の映画をいくつか観たので

思いつくまま書いてみようと思いまして。

ちょうどこれもソフト化されるというタイミングだし

moviola.jp

 

もっとも私は公共図書館に勤務経験はないんですよね。

大学図書館を何箇所か転々としてきました。

国内屈指の規模の大学図書館から

閲覧室からライターの音がするのでスッ飛んでいって取り上げるレベルのところまで

いろいろなところを見てきました。

本当の公共図書館の現場については伝聞でしか聞いたことがないんです。

 

ワイズマン『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(2017)につきましては

こちらにレビューとして「観たまんま」「徒然なるままに」書いていますが

これは「ガチ世界最高峰」の図書館のお話。

 

なおこちらは観に行ったときのレポート

ohirunemorphine.hatenablog.com

もう眩しくていられませんでした。

(しかしその後ワイズマンの過去作を観る機会があり、

 この人しれっととんでもない皮肉ぶちかますんじゃないか と思うところあって

 ラストシーン近くでとても気になった部分を確認したいと思っています。

 そういう意味でもソフト化はめでたい。)

 

そして実際自分が学校で「アメリカでの司書の地位の高さ」を聞かされてきたせいで

わーまぢで専門職憧れるわぁぁぁぁぁ

だったのですが

これはトップおぶトップの世界のお話だったのですよ。

 

『コロンバス』は「建築映画」としても非常に評価が高く、

その静謐で構築的な美しい画面も印象的な佳作ですが

ごめんなさい、私はたった一言のセリフで全て持ってかれてもうダメでした。

「図書館学修士なんて無駄 仕事がない」

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図書館に勤める女の子に対して男の子が放った一言。

アメリカでもインディアナ州ではそうなんだ……

地方によっては事情は様々とは聞きましたが……

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クレオ・ロジャース記念図書館

 

一言のセリフがぐっさり刺さり、

もうあとはあんまりよく覚えていません。

ストーリーより画面で語る映画だったのが救いですわ。

 

しんどいわぁ

仕事ないんだよなぁまぢで。ほんとに学位なんて無駄なんだわ。

と思いながら昔の同級生を思い返すと

 

学部で国家二種に合格して各地の図書館に正職員として散っていった友人たちとか

修士(博士前期課程)から博士(博士後期課程)に進んで今となっては大学准教授、とか

そんなんばっかりいてました

ごめんなさい私の努力不足です

そりゃ縁も切れますわ

こんな腐れた人間とは関わってはいけない人種に進化あそばして……もう私たち世界が違うの

 

まぁ私は現場にいた頃ちょっと諸々のシステム上のエラーに巻き込まれまして

その後心理的に図書館に足を踏み入れるだけで心臓がバクバクするという

働きたくても働けない状態にある、ということは言わせてください。

私の名誉のためにも。

あえて「システム上のエラー」ということにしておきます。

どーなんでしょうね、アメリカではこの「システム」あるんでしょうかね。

 

あと「このシステム」では図書館員のお給料めたくそ安っす過ぎて食っていけない。

戻りたくても戻れない、もうひとつの理由がこれです。

 

『パブリック 図書館の奇跡』には

ひょっとしたらアメリカでも図書館員のお給料って安いんじゃないかしら

と思わせる描写がありました。

後述します。

 

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恐ろしいほど大量のピザが図書館に届けられるシーンがありまして。

このシーンには「前振り」があります。

 

エミリオ・エステベス演じる図書館員グッドソンくんは

仕事終わって帰宅するときピザをテイクアウトするのですが

いつもプレーンを選んで自分で具をトッピングします。

その具は自家栽培 その方が安く上がるからって

 

この細かい金銭感覚。

いや、わかりませんけど。

これは彼の過去にも関わってくることかもしれませんので

ちょっと後半にほっぽります。ロングパス。

 

   全部後半に続く投げっぷりでスミマセン

 

厳寒のオハイオ州シンシナティ公共図書館がホームレスに占拠されるという

ざっくりした粗筋。

これは公共図書館がどういう位置づけの施設であるかが関わってきます。

そして、図書館員グッドソンくんの過去にも関わってきます。

 

まず公共図書館とは「社会福祉」と不可分な施設なのですよ。

すべての人に対して開かれ、必要な情報へリーチするための施設なのです。

単に本を貸し出すだけではない。必要な学び、必要な情報を提供する場なのです。

あらゆる人々を受け入れる場所なのです。

しかしその前提によっていくぶんかの問題が生じます。

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『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』と比較すると割とリアルだなと思うのは

「すべての人に開かれている」ゆえの難儀を描いているところなんじゃないかな、と思います。

ドキュメンタリーに比較してこちらの方がリアルだなと思ったのはちょっと不思議なんですが。

より地域に開かれた場所、ゆえに起きるトラブル。

 

公共図書館に勤務している友人が言っていました。

ホームレスが居ついてどうしたらいいのかわからない

すべての人に対し開かれた場なんだから居てもいいじゃん、というのは綺麗事。

私も一度あります。ホームレスにベタ付きでレファレンスする羽目に陥ったこと。

 

凄かったんです。匂いとか。

そういう人たちに触れられた資料大丈夫かってレベルだったんです。

くそ偏見って言われても仕方ありません。

しかし、それを口に出すことは許されません。

 

数えるほどしかそういう事例にでくわしたことがない私がこう思うんですから、

ホームレスに屯されたらどうなるかだいたいわかります。

どうなんでしょうね。

 

『パブリック 図書館の奇跡』では

「臭い」とお引き取り願ったホームレスに訴えられる、というくだりがあります。

簡単に言えば「排除された人に対する人権侵害」という理屈です。

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図書館の自由に関する宣言」に

「すべての国民は、図書館利用に公平な権利を持っており、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない」

とあります。

アメリカの「図書館の権利宣言」にも同じような文言があります(あちらが大先輩なんでしょうけどね)。

しかし、基本的人権とは「公共の福祉」という縛りがあったような。

ちょっと調べたら、少し古いですが武蔵野市の事例が見つかりました。

アメリカではどうなんでしょう? 

 

理想は理想なんですけどねぇ

ホームレスがトイレ占拠して歯を磨いたりお洗濯したりするのってそれも寛容であらねばならないのでしょうか。

情報を得るための手段として提供しているインターネットで出会い系サイトやらエロサイトやらを閲覧されるのも寛容であらねばならないのでしょうか。

 

それを否定することはできません。あくまで「理念」としては。

そういえば私にもこんなことがありました。

 

学生が図書館でYouTube観ながらオタ芸踊ってたのを眺めてたとか

 

必要な情報を収集する手段として提供しているのですから、彼にとってそれは必要な情報なのです。まぁそれは実害ないし面白かったので放っておきましたが。

 

あとは「ヤのつく職業の方々がいらっしゃるので盾として重宝されてしまう」男性図書館員の話も聞いたことがありますな。

女性の多い業種なのでそういうところでも矢面に立たされてしまうのだそうで。

彼は護身術を習い始めたそうな。

 

と諸々「開かれた施設の難儀」をあれこれ聞いたことをお話ししてきましたが、

公共施設の方々って神ですか仏ですか。心が広くなければやっていけません。

まさに「本と人が好き」じゃないと務まらんです。

 

ここまでは私が見て聞いてきた話ですが、

結局『パブリック 図書館の奇跡』は

まさに「奇跡」としか言いようがない物語なのですよ。

 

図書館員グッドソンくん自身が荒んだ生活のホームレスだったということ。

「開かれた施設」図書館で学び、そこから抜け出し学位まで得ることができたこと。

自らが図書館の職員として仕事を得るということができたこと。

そんな彼だからこそ、厳寒の街中で過ごすホームレスを「放っておけなかった」こと。

また彼を見出し、職員として雇った館長が素晴らしい人格者であったこと。

 

奇跡ですよ。私にとっては奇跡としか思えません。

教養を身につけることによってどん底から抜け出すことができるということ。

シンデレラストーリーですかって。

ホームレスがゲスなTVレポーターにマウント取れる「教養」。

 

しかし、そういった経緯で図書館員になったグッドソンくんだから、

ちょっと身分は不安定なのかもしれません。

プレーンピザとトマトピザの価格の差に敏感になってしまうくらい。

思わずデリピザが食べたくなるシーンですが、実際そんなシビアさを思うと

どうなんでしょうね?

 

アメリカでは解雇は簡単だと聞きます。

こと「図書館」という業種においては

簡単に解雇されてしまうのと

「日本の図書館業界にのさばってるシステム」とどちらが安心なのでしょうか。

ふと考えてしまいました。

(注・日本で幅きかせてるシステムでは、概ね「雇用期限」があります! さぁどっちがいい? )

 

どうしても「図書館」という存在には愛憎拮抗する感情があり

それは「存在」としての図書館に対する感情と「それを運営するシステム」のクソさに対する感情ではありますが

ついつい長文失礼いたしました。

 

なお、

『エクス・リブリス』にも『パブリック』にも

すごい質問が矢継ぎ早に来る場面がありましたが

私が思い出せる限りいちばん説明に難渋した案件が

マルセイユはいつ村か町から市になったのか」という電話問い合わせで

(これはうちらが回答することではありません! 自分で調べるために資料はあるんです!)

 

回答するのに軽くレポート書けるくらいに調べ込む羽目に陥ったのが

「サンヤスカガキとは何か」という質問でした

 

授業で指定された雑誌記事が借りられちゃってて読めない! タスケテ! 

という学生には

とりあえず君の住んでるところの図書館にあるか調べよう! まずは落ち着け!

とかそういうこともありました

 

こういうことも図書館員のお仕事なので

「本読めて楽ちんね」とか

「いつも棚の整理してるあの人たちね」というと

中の人たちがプンスカしてしまう可能性がありますのでご注意ください

タイトルなし。

シネマスクエアとうきゅうも

ミラノ座も

シネヴィヴァンも

シネマライズ

シネアミューズ

シネセゾン

シネマート六本木も

シネパトスも

浅草中劇も

 

 

シネカノン

プレノンアッシュも

ザナドゥーも

フランス映画社

ムービーアイも

アルシネテラン

ケイブルホーグも

ヘラルドも

 

大好きな映画を観せてくれたところが

なくなってしまうことは

今に限ったことじゃない。

 

自分とこは特別

自分の仕事は必要

映画文化を守れ

 

そんなことはないんだよ

随分いろいろ寂しさ抑えて見送ってきたじゃないか

 

頑張ってほしいと思うけど

見送るのには慣れてるから

あまり「俺の仕事は偉大だ」なんて

傲慢かまさなくてもよいですよ

 

映画が残ってくれて

観られるのが1番肝心だから

権利関係はしっかりしといてくれれば

それでいいです。

 

 

【大傑作】『渚のシンドバッド』の「あの女優」【どうしてこうなったし】。

 

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私はテレビドラマを見る習慣がないので

昨今褒められてんのか貶されてんのかわからない「アノ」ドラマ

M 愛すべき人がいて」は見てないし今後も見る予定はないのですが

 

アノ歌姫が一世を風靡していた時代はよく知っております。

あのステッカーを貼ったクルマがようけ走っておりましたな。

 

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違うそうじゃない

 

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こっち

 

当時バイトしていたお店でおばちゃんが読んでた女性誌には

必ず彼女の姿があったので

トレンドって一種の刷り込みなんでしょうか

 

なんだか俺も当時髪の色がミルクティベージュだったような気がするんです

 

しかし。

こんなネタみたいな物語以前の彼女。

知る人ぞ知る青春映画でトリプル主演張ってたはずなんです。

観たことあるはずなんです。理由は後述。

 

というわけで借りてきました。

橋口亮輔監督『渚のシンドバッド』(1995)。

ありがとう渋谷TSUTAYA ! でかい画面で観ると違うわやっぱ

 

www.youtube.com

 

さて。

この青春群像劇。

早くも30分ですでに涙腺があやしくなりはじめ

だんだんとティッシュが手放せなくなり

私は視力が悪いので眼鏡をはずせないままボロボロと涙腺が決壊するという

こういうときどうしていいのかわからないの(視界の確保という問題)

 

改めて観てこんな傑作だったとは。

高校生の初夏から夏にかけてのわずか数ヶ月(下手こくとひと月とかそこら)を

淡々と長回しで撮影しているのですが

脚本と人物像が恐ろしく造り込まれており

あぁぁぁぁぁ なんという没入感でしょう

 

中学高校の頃なんて

あの子はあの子が好きらしい

あの子とあの子は付き合ってるらしい

あの子は誰が好きなんだろう

そんなことで教室はパンパンに膨れ上がっておりましたよね

(当方 地方の市立共学マンモス校ヤンキー率高しの中学で剣道に励み

    高校は県立共学一応進学校ではありましたがあまりにものんびりしておりました)

 

あのモテモテの先輩は誰を選ぶんだろう選ばないんだろう

第2ボタンは誰がゲットするんだろう

なんかあの1年生ぜったいあの2年生好きだよね

 

そんなことで部活はパンパンに膨れ上がっておりましたよね

 

しかし私は「好き」の感情はあっても

その先のことが全然わからなかった

とんでもないガキというかお子ちゃまというかだったので

憧れの先輩がいてもどうしようもなかったわけで

(そしてどういうわけだか

 本人が本人の卒業式で

 女子に 群がられて

 制服のリボンも名札も汚いスクールバッグも

 片っ端から貰われていった という不思議なことも)

 

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この映画なにが素晴らしいかって

思春期の「好き」という、相当なベクトル量を持った一方的な思い込み

そのまま突き刺すままにさせておいて

その「残酷さ」「かけがえのない純粋さ」「純粋さゆえの残酷さ」

以下鎖のように絡まったそれぞれの事情と無意識の感情を

全く作為的ではないのに実は非常に造り込まれた状況で見せてくれるという

 

ごめんなさいなに言ってるのかちょっとわかりませんよね

 

これ役者も若いのにすごい演技力求められたと思うんですけど

(草野康太も岡田義徳もいまだに第一線ですよね)

この2人を相手に一歩も退かない

女優 浜﨑あゆみのとんでもなさ

教室をも支配してしまうその眼力。

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よくよく見れば今ではアウトな表現がめっちゃ出てきますし

(高校生が普通にタバコ吸ってるなんて今はぜったいアウトですよね)

(けど私の中学時代は普通に校舎の陰でタバコ吸ってましたよ普通の子が)

(背伸びしたいお年頃)

 

「同性愛」「レイプ」という本人の意図とはどうしようもない事象に

翻弄される子どもたちもいるわけです。

アウティングも「からかい」と「やきもち」が原因。

今ほどの重みがなかった時代です。ごめんなさい私にも覚えがあります。

多分私があの頃とった行動、今ぜったいアウト、っていうのあります。

 

全員複雑で自分勝手な子どもたちですが、

その「勝手」のチラ見せが全パターン違うってのも凄い。

「理解者のふり」して「自分がかわいいだけ」を暴露する言葉も突き刺さる。

よく練られた脚本と演出だなぁぁ。

 

ラストシーンがまた……

構図で「勘違い」をあらわし

丁々発止の言葉のやり取りで「消え入りたくなる疎外感」をあらわし

体を張った「謀略」もある。

全てが不器用で、しかしこれ以上はどうしようもないのです。

この頃にはポケットティッシュにまで手が出ておりました

 

危うい強さと脆さを持った少女。

この難役を演じ切った「あゆ」ですが

ずっと長い間「痛いヒト」「オモシロコンテンツ」として消費され続けています。

 

彼女の名演は、あらかじめ持っていた「痛さ」ゆえなのでしょうか?

まぁ、人となりなんて、私たちには関係ありません。

 

ただ、

彼女のキャリアの最初期である『渚のシンドバッド』は

おそらくもっと高く評価されるべき作品で

その中で素晴らしい演技を見せた 女優 浜﨑あゆみ がいた

という

そのことだけで充分です。

 

ちなみに。

なぜこの映画をビデオで観た記憶だけがあるかと申しますと。

 

無気力な大学時代に毎週講義サボってでも聴いていたラジオがあるんです。

いまだに贔屓にしております市川笑也が当時パーソナリティを務めていらした、NHK-FM「邦楽ジョッキー」

元・男闘呼組高橋和也さんがゲストで出てた回があったんですが、

そのときこの映画の音楽を担当された話になって。

youtu.be

この動画、貼ってしまっていいものでしょうか。

もしイケナイコトでしたらごめんなさい。

 

笑也さまの低音で滑らかな美声によって紹介された、

繊細で素敵なこの曲に惹き込まれて、

私はレンタルビデオで『渚のシンドバッド』を借りて観たのです。

そして今、改めて要所要所にさりげなく流れる劇伴の効果を実感しました。

はかなくもどかしい子どもたちの想いと、

彼らを取り巻く美しい光景に寄り添う、音楽。

 

昔ビデオで観た映画なんてあんまりよく覚えちゃいない。

橋口監督は『ハッシュ!』を劇場で観たかな。

『恋人たち』は3時間ものでしかもテアトル新宿のレイトだったから

機会が合わなかったんだ。

 

 

 

私はどうも大人になってからうまく人生が捗っておりません。

(諸事情につき私の「大人」は30を過ぎてからのことです)

ゆえに、

いろいろなことにもがきながらも、

確かに輝きがあったあの時代に思いを馳せると、

無条件に涙腺のパッキンが壊れる悪い癖があるのです。

 

【お湯沸かして食って洗って30分】だんだん雑になってくる引きこもり中のご飯。

食べる気力もわかない時もあれば

無性に極めたくなる時もある。

どっちにしても準備含めて30分で全部済ませられる

きたなうまい自炊の記録。

(写真撮り忘れて後悔した美味いものもあるし

 まずくてやめたやつもあるし

 雑に市販の素で済ませた時ももちろんある)

そんなひと月半の、引きこもりのレシピ。

 

1 鶏肉のグリル

鶏モモ1枚 にんにく半片 オリーブオイル適当 バター少々

粗挽き胡椒適当 粗塩適当

冷凍ほうれん草適当
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鶏胸肉に塩胡椒

フライパンその1にオリーブオイル投入

皮を下にして丸ごとぶちこむ

鶏皮がパリッとしてきたら裏返す

ここで蓋をすると火の通りは早いが鶏皮がしんなりする その辺は好み

フォーク刺してみて肉汁が透明なら一旦皿に取る

鶏肉焼いたフライパンで薄切りにしたにんにくをバターで狐色になるまで炒める

レモン汁をジュワッとかける

鶏肉を戻してからめる

 

鶏肉休ませてる間にフライパンに冷凍ほうれん草

バターでもオリーブオイルでもいいから適当に炒める

鶏肉の塩分が残っているのであまり塩振らないでおく

 

切ってみて火が通っていたらいい具合

 

 

2 アラビアータ

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トマトソース

(トマト水煮・炒め玉ねぎペースト・ローリエ だいたい3杯分出来るので暇があったらこさえとく)

スパゲティ

にんにく半片 鷹の爪 塩・粗挽き胡椒

 

鍋に1lお湯を沸かして塩小さじ1ぶちこむ

にんにくは芽を取って薄切り 鷹の爪は種を取って2つか3つに適当にちぎる

フライパンにオリーブオイル引いてにんにくと鷹の爪ごく弱火で温める

沸いた塩水にスパゲティ投入

茹でてる間に にんにくが狐色になってきたらトマトソースお玉一杯投入

味を見て塩足したり足さなかったりする 

ピリッとこなかったら胡椒ザリザリ挽く

 

スパゲティが茹で上がったら特にザルとかにあけず鍋から適当にフライパンにぶちこむ

ぐちゃぐちゃに絡めて完成

 

3 ペペロンチーノとベーコンとほうれん草

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にんにく 鷹の爪 オリーブオイル

冷凍ほうれん草 薄切りベーコン

スパゲティ

 

基本は単なるペペロンチーノ

フライパンににんにくと種取った鷹の爪と適当に切ったベーコンを炒める

沸いた塩水でスパゲティゆでる

茹で上がりそうなタイミングで茹で汁スプーンでフライパンに2、3杯入れて揺する

スパゲティ茹で上がったらフライパンに投入

味見て塩足したり足さなかったり

 

4 ツナスパ

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ツナ缶半分 謎のアンチョビペースト少々 オリーブオイル

にんにく

レモン汁(小瓶のアレで充分) あれば白ワイン

スパゲティ

 

鍋に塩水1lぶち込んで沸騰させる

フライパンににんにく薄切りをオリーブオイルで炒める

スパゲティ茹でてる間にフライパンにツナ缶半分と謎のアンチョビペースト適当にぶち込みレモン汁と(あれば白ワイン)を加える

茹で上がったスパゲティをフライパンにぶちこむ

粗挽き胡椒たっぷり…たっぷりかける

おわり

 

4 謎のツナと海苔スパ

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にんにくは今回はなし

一応辣油を用意

 

沸騰した塩水でスパゲティ茹でる

ごま油で鷹の爪温める

ツナ缶は缶開けたてで冷えてるのでも良しあたためても良し

鷹の爪炒めたフライパンに茹だったスパゲティ投入

皿にごま油スプーン2、3杯辣油少々

スパゲティぶちまけツナ缶半分投入 

ぐちゃぐちゃに混ぜる

味を見て塩や辛味足りなかったら塩なり辣油なり加える

仕上げに揉み海苔1枚

おわり

 

5 ブロッコリーと小エビの塩味オイル

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お湯1ℓに塩ぶち込んで用意 スパゲティ投入

フライパンにニンニク薄切りとオリーブオイル投入

程よく狐色になったら冷凍ブロッコリーと冷凍小エビ投入

白ワイン回しかけて解凍

塩少々 パスタの茹で汁少々投入 

茹で上がったスパゲティ投入

おわり

 

6 どうしてもうまくいかないオムライス

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卵2個 バター大量 サトウのご飯 鶏肉細切れ とにかくケチャップ ツナ缶半分 粗挽き塩胡椒

 

サトウのごはんをあっためて少しだけ取り分けて冷凍しとく 使う分はめっちゃほぐす

鶏肉の細切れに塩胡椒

フライパン大小用意 大はケチャップライス小はオムレツ用

なぜかうちのフライパン大はめっちゃこげつくので

多めにバター溶かしてほぐしたごはんとツナ缶半分ケチャップ塩胡椒いっきにいれてガンガンあおる

まぢで焦げ付くのでバター多め推奨

 

煽り終わったケチャップライスは一旦皿に取り出すがそのあとが問題

下手こくと焦げが始末におえん

 

フライパン20センチに卵2個牛乳少々入れて

スクランブルエッグ状態にしても

どう転んでも焦げ付く

 

頑張っても写真みたいな雑な仕上がりになる

 

7 アボカドチャーハン

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実家からの支援物資がドアホなことに熟しすぎたアボカドだったので試した。

見た目まぢで汚い。

 

サトウのごはんあっためる

皿にとってほぐす

 

熟し切ったアボカド(半分くらいかな)と刻んだベーコンをごはんの皿にスプーンで細かく取って

 

でかいフライパンにオリーブオイル入れて熱する

 

いい感じに熱くなってきたら卵1個割入れフライ返しでぐちゃぐちゃにする

熱が通りきらないうちに

皿の上で待機させといた

ご飯

ベーコン

アボカド

まとめてぶち込みとにかく混ぜる煽る

 

パラパラになってきたら火を弱めて

醤油をスプーン一杯

塩胡椒をざらざら

さらに煽る

 

粉チーズをたっぷり振ってさらに煽る

味見て塩なり胡椒なりチーズなり加える

あればナンプラーをちょっと

 

好みの味になったら皿にあけて

わしわし食う

おわり

 

8 小エビと花椒醬のチャーハン

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サトウのご飯あっためて皿にとってほぐす

デカいフライパンあっためてごま油投入

そろそろ熱くなったかなと思ったら卵割入れ8秒で混ぜる

ほぐしご飯と冷凍小エビ(だいたい8ー10粒)ぶちこむ

煽りながら鶏ガラスープの素小さじ一杯弱

麻辣醤適当に絞ってさらに煽る

あれば刻みネギ適当にぶちこんで煽る

なんかパラパラしっとりいい感じになったら

おわり

 

9 ペペロンチーノにベーコンとほうれん草

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ペペロンチーノに冷凍ほうれん草とベーコンで完成

 

10 両面目玉焼き

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フライパンにオリーブオイル均一に引いて

極々弱火

生卵ゆっくり割り入れ

ゆっくりゆっくり焼く

フライ返しで周りの白身部分を剥がしながら焼く

黄身が破けちゃうと悲惨なので慎重に

白身がフライパンから剥がれたら軽く揺すって

まだ黄身がくっついてるようならもう少し焼く

黄身が剥がれそうならフライパン揺すりながら

丁寧に丁寧にフライ返しに載せる

 

一気に、しかしそっと裏返す

またじっくり焼く

なにしろ半熟が苦手なので焦げ目つくまでじっくり焼く

塩と胡椒ザラザラ

 

ベーコン乗せてこんがり焼いた食パンにのっけて

ブラックコーヒーで食うと美味い

 

11 ブロッコリーと鶏肉のパスタ

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実はこれは失敗作

ニンニク薄切り鶏胸肉細切れに塩胡椒

ニンニク鶏胸ブロッコリーをオリーブオイルで炒める 

スパゲティ茹でてる間にニンニク狐色になったら白ワイン投入

生クリーム投入

ナツメグ投入

粗挽き胡椒ザラザラ

 

生クリームをケチった故全然クリーム感がないシロモノと相成った

さらにナツメグが完全に胡椒に負けた

生クリームはウイスキーシングル程度は入れるべし

胡椒は要らぬ

反面教師として記録しとく

 

12 小エビとブロッコリーのトマトクリーム

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先ほどの教訓を胸に

にんにく薄切り冷凍小エビ冷凍ブロッコリー、あればベーコンをオリーブオイルで温める

にんにく狐色になったらトマトソース投入

ちょっと白ワイン入れる 水気を足す程度アルコールを飛ばす

生クリームをウイスキーシングル程度投入

茹だったスパゲティと和えて完成

 

アラビアータに戻る

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うちにいると毎日毎日一回は鍋を振らなければ飯にありつけず

そんな習慣もなかった私ですが

気力と空腹の両方揃ったときは頑張りました

 

材料はあっても気力がないときは粉末スープとヴィダーインなんとかのお世話になっております

 

一気に全部やるって意外と体力使うから疲れるのよね

 

トマトソースの炒め玉ねぎはカルディが一番美味いということが判明した

他のは甘すぎるので適宜塩を足すと好みの味だ 

【祝・映画館再開】映画観たら美味しいもの食べよう。【予算だいたい700円】

都内の映画館がぽこぽこ開きだした。

 

わたしはこの記念すべき(来年には祝日にしてもいいんじゃね)日に

なにを観ればいいか2日ほど考えた。

各館プログラムがなかなか出なかったのである。当然だ。

 

ということで

私の映画館開きは

名画座神保町シアターと池袋新文芸坐に決めた。

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プログラムは

ニッポン無責任時代』『君も出世ができる』と高度成長期モーレツスーダラリーマンコメディと

蜘蛛女のキス』むせ返るラテンアメリカの湿気と熱。原作が素晴らしいんですけど映画は記憶がまだらだったのでちょうどいい機会でした。

正直暗闇と銀幕に飢えていた。馬鹿なので

涙流しながらスクリーンと対峙していた

 

だけど

60年代リーマンものコメディって、

観てるぶんにはすごく面白いのだがどうもいろいろわからんのよ。

私の脳には「出世」の概念がない。「がむしゃらに働く」という概念もない。

がむしゃらに働いて出世するって意味がわからない。

昔、父と「働くこと」について喧嘩したときに、父が放った一言がもう世代の分断だった。

働いてりゃぁ給料なんて上がっていくもんだろ

 

あがんねーよ

高度成長期とオイルショックとバブル景気とリーマンショックと大震災を知る百戦錬磨の男とは

基本的に話が合わないことが判明したが

平均さんはむっちゃ仕事ができる男だ

ということについては意見が一致した。

 

もっともこの御仁も「仕事とはとりあえず出勤簿に印鑑を押しに行くことだ」とのたもうたこともあったので

モーレツサラリーマンとスーダラサラリーマンとは二重人格的に共存するらしい。

 

なんの話をしていたんだっけか。

そうだ私は

映画観るとどうしてお腹が減るんだろう

 

ということについて考えていたのだ。

 

各地映画館と美味しいものは分かち難く私の脳内で結びついている。

神保町なら

馬子禄牛肉面(あーやっぱちょっと値上がりしてる)

ろしあ亭(行くなら絶対ランチ)

キッチンジロー神保町店(うわー閉店してた! キッチンジロリアンはどこへいけばいいの)

この3箇所ローテしてた。

なぜさぼうるとかの老舗喫茶店という選択肢はないんか。それは

さぼうるとは!

「本の街・神保町」の店である!

という微妙な感覚の違いだ。

あーいうお店は古書店回って買った本を持ち込んでナポリタン喰いながら長々過ごす店なのだ。

 

池袋なら

マルハバ(北口をテクテク 絶対ランチでビリヤニ

鶏の穴(喉が乾くほど濃いけどやみつきです)

       そして何故か

マクドナルド

  私の生活圏内にはマクドがない。車で混雑した道をしばらく行かないとありつけないのだ。よって、池袋の食として、マクド認定。

 

渋谷だったら

三浦のハンバーグ(溢れる肉汁がたまんない! ランチタイムが短いのが難点。そして何故お茶の水店だけ専用サイトがあるのだ)

幸楽苑(これもまた私の生活圏内にないのだ……)

吉そば(春菊天そばフリークなのです しかしここは当たり外れがある)

牡蠣鉄(ちょっと贅沢したい時最高。生牡蠣の時期逃しちゃったなぁ……ル・シネマやユーロスペースの帰りに行く。ビール一杯と生牡蠣の一番安いのだけを頼み、ほぼ2,000円におさめる嫌な客です

 

アップリンク、しばらくぶりに行ってみたらすごく様変わりしてて驚いた。レストランがなくなってランチボックスが出るようになってた。

今度試してみよう。

 

イメージフォーラム方面はちょっと困るんだよね。なにも食べずに表参道駅一直線。

 

銀座・日比谷・有楽町ときたら

ジャポネ(「パスタ」なんぞ小洒落た名前を許さぬレベルのジャンクさがたまらん!)

ひつじや(シャンテの地下でこの値段 大丈夫か)

ABCラーメン(めっちゃ老舗の銀座のラーメン屋)

よもだそば(フリークとしては春菊天はちょっと物足りない けど何故かカレーがすごく美味しいの)

ちょっと足伸ばして新橋・丹波屋

(ダメですここの春菊天は他の追随を許しません。超ハイレベル安定の美味すぎさ)

 

そして高田馬場!

迷うほどの異国メシとラーメンエリア!

私の大好物が満載。

早稲田松竹行く時はもう一日がかりだね。

お腹がユーラシアの時はウルムチでラグメン♡

お腹が大陸っぽいときはもうそこらに適当に飛び込めば解決。

 

意外と新宿がないんだよね。

飲み屋じゃなくてご飯食べるところ思いつかない。

「達磨」の坦々麺が好きなんだけど

ここくらいしか行きつけてない。

開拓せねば。

 

あぁぁぁぁぁ

白状します。

私は映画を観ながら ふっ と気が抜けると

どこでご飯食べようかな〜〜〜

そんなこと考えてるのです。映画観るのと胃袋と相談するのは同時にできるのです。

 

あー、どうしよ。お腹空いてきた。

ちなみに映画開き記念に食ったのは

ラム ミート テンダー

のテイクアウトランチボックス

 

テイクアウトって困りません?

腰落ち着けて食べる場所と、空いた容器を捨てる場所。どっちも、ない。

東京の公共空間ってその辺冷たいよね……

 

そして

池袋で日高屋

私の生活圏内にはマクド幸楽苑日高屋もないのです!

どんな田舎よ。

 

久しぶりの中華そばをすすっているともうオーダーストップの時間。

時計を見るとまだ9時過ぎ。

 

日常が戻ってくるにはまだ時間がかかりそう。

そもそも……

 

あの頃の日常は戻ってこないかもしれないよね

映画館。開いてる時には行きましょう。

行って美味しいものを食べましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

『タッチ・ミー・ノット ~ローラと秘密のカウンセリング~』について書きました。 

第68回ベルリン国際映画祭にて金熊賞を獲得した『タッチ・ミー・ノット 〜ローラと秘密のカウンセリング〜 』が、公開されることになりました。

tmn-movie.com

 

今回、コロナウイルスの影響により発令された緊急事態宣言下、

渋谷イメージフォーラムでの公開は7月4日(土)に伸びてしまいましたが、

オンライン配信サービス「仮設の映画館」では6月6日(土)より公開されます。

 

ひと足お先に拝見する機会に恵まれました。

ご鑑賞の一助になれば幸いです。

 

こういうときはこういうキャッチとかすればいいのかな。

まずは観てもらわなきゃならないからね

「強烈! 

 トラウマ抱えた大人たちを癒す刺激。

 フィクションとドキュメンタリーの枠を超え、

 ヨーロッパのセックスセラピー事情を赤裸々に描いた問題作!

 障がい者トランスジェンダーも性をこんなに楽しめるんだ!

 人生、アーティスティックにリベルタンに楽しまなくちゃ!

 さあ自分の殻を破ろうじゃないか! 」    ル・ナンボ誌

 

………………………ココマデ……………………

 

エロティックなビジュアルのこの作品ですが、

むしろ「肉体」に物語らせるものではありません。そしてLGBTQや身体障害者の性についての作品でもありません。

もともと、「マイノリティ」「マジョリティ」とラベリングすることに無理があると考えています。人間は基本的に「個」であり、多数派も少数派もありません。

「個」と「個」として、そのままで完結しているのです。しかし、彼らは「孤独」ではいられません。

この作品は「人と人とが関わり合うことに対する名付け得ない渇望」についての映画なのです。

 

人間、「ありのままの姿」をさらけ出すことは、どんなに難しいことでしょうか。

心の奥底に眠っている名前のつけられない感情を自覚していくということも、大人になってしまってからは難しいことです。

自然に親密な関係を築けるようになるためには、実は幼少時からいくつものステップを踏まなければなりません。感情はその中で得られていくのです。

得ることができなかった、もしくは表出をすることができなかった感情とどう向き合っていくか。

 

ローラ。寝たきりの父の介護で通院する日々ですが、自らが手を出すことはありません。

彼女は介護される父を見つめるだけです。

彼女は「他人との距離感」に非常に敏感でありながら、それに反するように孤独に苛まれる日々を送っていました。

けっして若くはない彼女の孤独を埋めるためには、なにが必要でしょうか? 

彼女は試行錯誤します。

男娼を家に招き入れても、他人と触れ合うことを恐れるため「ただ眺めるのみ」、

インターネットで知ったトランスジェンダーのセラピストのもとを訪れてみたり、

彼女にとっては不快な「触られる」セラピーをあえて受けてみたり。

 

ローラは、病院のガラス越しに、不思議な集団セラピーが行われているのを見ます。

お互いの視線をまっすぐ合わせ、顔を触り合う。

優しく「お互いの領域を侵し合う」行為です。

それをローラは見ます。ガラス越しに眺めるのです。

 

そこでトーマスの存在をを知ります。

トーマスは無毛症。感受性の強い時期にかかった重い病。それがずっと心に刺さったトゲとなり今に至っているようです。

彼はひとりの女性を追っていました。彼女の試着した服、唇がつけられたカップ。彼女の行動をそっくりそのままなぞる彼。彼の思いは届きません。

 

ローラは、ガラス越しに見たトーマスに興味を抱き、彼の後をついて歩きます。

この行為によって、視点はさらに重層的なものになってきます。

誰かを見つめる視線、それを見つめる視線。ガラス越しの観察。

ダイレクトに核心に迫ろうとしないこの構造は、そっくりそのまま「他者と関わることへの幾重の隔たり」、複雑で重層的な視線によって織りなされる物語をあらわしていると考えられます。

 

切ない想いを抱えるトーマスと対照的な存在として、もうひとりの男性、クリスチャンがいます。

彼は「全てを晒して生きる」ことしかできません。身体を意のままに動かすことが困難であるため、常に他者と共にあらねばならないのです。

そして、愛する人と共に生き、自らの「今」を、そして肉体を享受し尽くすことを躊躇いません。

他者との距離感が溶け合う「親密な」関係を深く知る人と、親密であることを欲しながら躊躇う人。

 

「精神的な核」を覆うように無意識があり、意識があり、肉体があり、その肉体を覆う「服」という殻がある。ローラの抱える問題はどこまで殻を剥ぎ取れば解決の糸口が見つかるのでしょうか。

男娼はローラが見ている前で全て脱ぎ去ります。彼女はそれを眺めます。

トランスジェンダーのセラピスト、ハンナもまたローラの前で1枚ずつ服を脱ぎ、最後に「これが全て」と言います。

触れられたくない部分に触れられ、ローラは叫び声をあげ、涙を流します。その涙は拭われ、舐められる。

服に覆われた肉体。あえて他者に晒すことはない涙や唾液、体液。そして、痛み。痛みに対して湧き上がる感情。幾重にも重なった殻の内部で、さまざまなものが揺れます。他者を欲する感情かもしれませんし、「自ら説明できない」感情かもしれません。

 

涙、唾液、体液。

他者の肉体の、最も底から溢れるものを受け入れる。生理的抵抗を感じる行為、実際極めて危険な行為です。

その危険に身の全てを晒し、委ねることを躊躇わない。自らを知る者は、他者を受け入れることも知るのかもしれません。

それを「信頼」と呼ぶのか。欲望ありきの信頼か。いずれ、危険な「性の冒険」を共に行うためには、信頼関係は必要です。

 

ローラと、トーマスは、似た悩みを共有するもの同士だったのでしょう。

幼少期に「親密さ」という概念を得ることができなかった。

愛、あるいは親密さというものがなんであるか、学ぶべき時に学べないまま大人になった。

ふたりがそれぞれ「親密さ」について学習してきた過程を表すように、互いの服は取り去られ、

心をえぐった傷を語り合い……そして「触れ合い」。

ーー親密さ、愛着、それらの感情を得ることを欲しつつ方法がわからなかった彼らにとって、「エロティシズム」はひとつの解決の方向。

それぞれの分厚い殻を剥がしていく。

「服を脱ぐ」という行為はその象徴なのです。

 

実は彼らの行為を一部始終観察していたもうひとつの視点があります。

監督のアディナが、カメラ越しに彼らの行動を見つめているのです。

誰かを見つめる視線、それを観察する視線、それをガラス越しに観察するカメラ、そのカメラの奥にいる監督の視線。構造はより複雑なものとなりますが、結構このカメラ、ドスンと据付けられ、それ自体が現実と虚構を溶かす装置として存在します。

そして、アディナとローラの関係。

ローラと、この作品の監督アディナが語り合う場面がしばしばあらわれますが、このふたりが話す声が「どちらがどちらのものか」判然としないのです。

全てを見つめる者が、物語に介入してきます。なぜでしょう? 

 

アディナは「知っている」つもりでいました。

しかし、「知っている」ということは極めて個人的な感覚です。それを疑うところから、この作品は始まったのかもしれません。

人はあらかじめ異なった「世界」を生きています。それぞれに完結し、欠落を感じている者はそれを埋めようともがき、答えを出していこうとする。

すでに答えを得た人は、答えが出ない人に求められれば、助けようと手を差し伸べる。

アディナはその過程を観察し、この作品を作り上げました。それは自らの内の「世界」を再構築する作業だったのかもしれません。ローラとアディナ、もしくはトーマスの、境界線を溶かしつつ。

 

「個」としてのみ在る人は、自らの欠落をうまく説明できません。欠落は、他者との関係性、自己と他者の差異に気づかなければ自覚できないのです。

「親密さ」「愛」について欠落した人々がそのことに気づき、殻を割ろうとするとき、エロティシズムは彼らの関係性を導く方向性のひとつなのです。

 

この作品は見る人によってどのようにも観え方が変わるだろうと感じました。

どうぞ、ご覧になって、いくつもの視点をお楽しみください。

 

『タッチ・ミー・ノット ~ローラと秘密のカウンセリング~ 』

原題 : TOUCH ME NOT

2018年/125分/英語/ルーマニア、ドイツ、チェコブルガリア、フランス

 

監督・脚本・編集 : アディナ・ピンティリエ

キャスト :  ローラ・ベンソン

     トーマス・レマルキス

     クリスチャン・バイエルライン

     グリット・ウーレマン 

     アディナ・ピンティリエ

     ハンナ・ホフマン

     シーニー・ラブ

     イルメナ・チチコワ

 

配給・宣伝 : ニコニコフィルム

配給後援 : 在日ルーマニア大使館