映画について私が全然知らないいろいろな事柄

@ohirunemorphine が、だらだらと映画についてあれこれ考えます。

ユン・ダンビ『夏時間』書きました。

めっちゃブログ更新のろいですよね

 

最近どうも色々厄介なことばかり起きて

根詰めて文章かくのがむずかしかったのです。

 

そういうままならぬ日常を愚痴ってると

個人的にメールのやりとりなんかしてる方には

もう映画縛りやめてそっち書いた方がよくね?

と言われるのですが 

 

どーもはずい

 

というわけで

久々にレビュー書きました。

是非お読みください!

 

http://webneo.org/archives/49133

東京国際映画祭『カム・アンド・ゴー』書きました。

2つの映画祭が並走してると

観る方もたいへんです。

 

というわけで、

リム・カーワイ監督『カム・アンド・ゴー』

書きました。

よろしければお読みください。

 

http://webneo.org/archives/48911

 

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ツァイ・ミンリャン『日子』書きました。

フィルメックスで上映された『日子』について書きました。

頭使わない生活してるのでめちゃくちゃ唸りながら書きました……アタマは使わないと退化してしまう……

https://kotocine.blogspot.com/2020/11/text.html?m=1

 

30日まで配信もありますよ!

https://filmex.jp/2020/online2020

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レンタル文化の終わりが近づいてきて。

新宿TSUTAYAが閉店するというニュースを聞いた。

 

Twitterの埋め込みがうまくいかなくてこうなってしまったが

 

私にとって新宿TSUTAYA紀伊國屋書店のトイメンにあった頃以来記憶がアップデートしておらず

先日歌舞伎町のTOHOへ行くときに

 

こっちに来てたのか

とやっと気づいたのだが

時すでにお寿司とはまさにこのことである。

 

そういえばレンタルビデオ文化で育った自分だが 

ohirunemorphine.hatenablog.com

 

VHSから円盤に変わるタイミングで

いつしか家で映画を観なくなってきていた。

今となってはほとんど借りることはない。

それは円盤レンタル店がボコボコ減っていることと無関係ではない。

 

そういえばあの時観たあの映画もう一回観なおしておきたい

と思ったときに

すぐに借りられないのはなんと言うか。

 

レンタルVHSは非常に高額なのに比べて

DVDは比較的安価に手に入るのは確かだが

「所持しておかなければならない」ということであり

あまり物を増やしたくない人間にとってはなんというか。

(レンタル落ち1000円くらいなら買ってしまう自分もいるが)

 

本来なら、映画とは

諸々の権利上「その場限り」の体験であるはずなのだ。

それを考えるとレンタルビデオ(VHS)は長きに渡って法の隙を突き

地方の金のない映画好きをずいぶん育ててくれたと思っている。

 

「レンタルに来たら観るわ」

何度この言葉を口にしたことか。

それほどまでに「レンタルビデオ文化」は映画へのリーチを縮めてくれた。

 

今。

配信がメインとなっているとはいえ。

観たい映画が配信されているとは限らない。

「モノ」として蓄積されている実店舗とは違うのだ。

この辺り「図書館」と「オンラインジャーナル」の関係性に近いものがある。

 

あまり配信は好きではない。

さりとて凄まじい出不精である。

たまにはお世話になる。

 

いうても

今後映画は一期一会くらいの感覚で

しっかと目に焼き付けるくらい

特別な体験として位置付けなければならないのかもしれんなぁ、と思っているのである。

それは「レンタル」なんというもののなかった頃の映画の楽しみ方に近いのかもしれない。

 

時代は変わる。

それでも渋谷TSUTAYA頑張れ。

そして関係者の皆様におかれましては

名画座にかけられる期限等々おありでしょうが

積極的に過去の名作をかけていただきたく

よろしくお願い申し上げます。

『鵞鳥湖の夜』、人生はゲーム。

wildgoose-movie.com

ディアオ・イーナン5年ぶりの新作『鵞鳥湖の夜』。

公開されしばらく経ち、

映画好きがもう散々語り尽くして私如きが書くことはもうないんじゃないか、と思っていました。

ネオンカラーに彩られたフィルム・ノワール

傷ついた男と妖しげな女「ファム・ファタール」。

激しいアクションと鮮烈な画面。

もはやこの映画については語り尽くされているのでは、と思っていました。

 

しかし、私にもちょっと言わせてほしい。

私の話も聞いてほしい。

5分だけでもいい。

 

既に多くの方々が指摘するように、

この作品は「フィルム・ノワール」と呼ばれるジャンル映画の形態を

あえて踏襲しています。

そしてお馴染みの惹句「事実を基にした」!

 

ジャ・ジャンクー罪の手ざわり』(2013)とか

まだ公開未定ですが、昨年のフィルメックスで上映された、ロウ・イエシャドウプレイ』(2018)とか

もうじき公開される、ウェン・ムーイエ『薬の神じゃない!」(2018)とか

「実話を元にした」がめっちゃ多いと思うのよ

また、数々の名作の引用やオマージュと思われる絵作りには、

識者コメントががっつり食いつきまくっています。

私自身、『第三の男』『上海から来た女』『M』さらに『雨月物語』かな、と

その(監督の意図せざるところかもしれない)映画的引用を数えてしまったものです。

 

しかし、そんな「映画史的いいとこ取り」で済ませてはもちろんいけませんよね。

そんな「ナントカカントカを思わせる」で済ませちゃいけませんよね。

 

この作品、前作『薄氷の殺人』(2014)に比べると、かなりエンターテインメントに振り切っており、

画面の派手さと物語のスリリングさにアドレナリン出っ放しだったのですが、

ストレートにわかりやすい物語に反して、人物の相関は「わかりにくい」のです。

私は2度見てやっとなんとなく把握したんですですけどね。

 

私、わりと他人がゲームをしてるところを眺めるの好きなんですよね。

自分がプレイヤーとしてゲームをするのは好きじゃない、というか

めんどくさいんですけど、

他人がゲームをしているのをぼんやり眺めるのが結構好きなんです。

 

この『鵞鳥湖の夜』、まさにゲームの構図なんです。

例えば麻雀とか、ポーカーとか。

他人に手の内を明かさない、しかし捨て牌とかで流れを読む。

 

まず賭けられているのは「30万元」=チョウ・ザーノン。

黒社会のいざこざのなか、間違えて警官を射殺し、賞金首となった男。

 

雨の降りしきる駅で、男と女が出会います。

女は、「あなたが待っている人は来ない。私が代理で来た」と言う

(もうこのシーンだけでがっつり心を掴まれます)。

しばらく駅でふたりの「それぞれの経緯」が語られる。

 

逃走中の彼は、自らにかけられた賞金を、行方知れずの妻シュージュンに託そうと

鵞鳥湖の実力者、ホアに話を通そうとします。

 開発から取り残された、地図にない街。時空の裂け目。警察すら全貌を掴んでいない場所。

シュージュンの弟は、チョウの舎弟。舎弟を通じて、ホアに彼女の居場所を探させようとします。

ホアは愛人アイアイを使ってシュージュンを見つけ出します。

シュージュンとの会話の中、アイアイは彼女を取り囲む監視の目に気づきます。

 

   誰かが鵞鳥湖に入り込んでる。

 

そして、彼女はホアとシュージュンの代理として、駅に来るのです。

 

チョウに30万元の賞金をかけた警察は、私服警官を大量に鵞鳥湖に送り込み、

妻、シュージュンを監視します。

アイアイはシュージュンを警察の目の届かないところに逃がそうとしますが、

シュージュンは……

 

さて。出揃いました。

ゲームのプレイヤーの顔ぶれはこんな感じ。

・獲物 チョウ(30万元)

・チョウがかつていた裏社会の面々

・鵞鳥湖の面々

・妻、シュージュン

・警察(30万元の支払い元)

 

   相関図を書いていたら気が遠くなりました

 

フィルム・ノワール」の伝統に則るならば、

チョウが無事に逃げおおせるということは考えられません。

それぞれの「上がり」を考えてみます。

 チョウは「シュージュンに賞金を渡す。つまり、直接会って、警察に突き出してもらう」。

警察は「自らの手で捕らえる」そうすれば30万元払わなくて済む、というのは私の憶測。

裏社会の面々、そして鵞鳥湖の面々は「チョウを捕まえて警察に売り飛ばす」。

シュージュンは「面倒なことに巻き込まれたくない」。

 

さて。

この作品で「謎めいたファム・ファタール」として位置づけられている、鵞鳥湖の娼婦アイアイは、当初将棋の駒、麻雀の牌、ポーカーのカードでしかありませんでした。

彼女を使うプレイヤーは、ホアとチャン(すぐ死ぬ雑魚なのでどうでもよろしい)

しかし、チョウとシュージュンに関わっていくにつれ、自らもプレイヤーとなっていきます。

 

アイアイはその経緯上、ホア、チョウ、シュージュンそれぞれの動きを見ることができます。

そして、自分たちが監視の元にあることも理解しています。

そんな中、彼女はどのように場を読んでいったか。

 

元々ホアの駒として動けばいくばくかの分け前がもらえるはずでしたが、どうも旗色がおかしくなってきたことを察し、ゲームに参加する流れになったアイアイ。

耳をそばだてれば30万元を巡ってあちこちで諍いが起きていることもわかります。

アイアイの上がりはどこにある?

場当たり的にも思える彼女の打つ手は、しばしば「読み違え」ます。

しかしそうならなければ物語は面白くありません。

 

一旦「売った」チョウが目の前に現れ、アイアイは怯え逃げまわります。

しかし周囲が勝手に自滅し、いつの間にかアイアイは「総取り」できる立場になっていたのです。

そして、彼女は見事に勝ちます。

 

ゲームには「運」も必要です。

彼女が総取りできたのは「運」と「情報」のおかげです。

他の面子が頭悪くドンパチやって自滅するしかなかったのに対し、

彼女は「情報」を持っていたのです。

彼らの間をうまく泳いで、時には読み誤り、さらに潮目を読み、

彼女は、勝ったのです。

 

この作品は非常に派手かつ鮮やかな演出を施されていながら、

説明的な描写は綺麗に削ぎ取られ、

全てを画面から読み取らねばなりません。

非常に疲れる、アタマを使う。

 

はぁぁ、面白かった。

しかし、

 

予告編ってすごくミスリードするよね。

無駄な情感たっぷりな予告編ってどうかと思うんだよね

これじゃチョウとアイアイは恋愛関係に至るように思えちゃうじゃん。

フィルム・ノワール」のパーツとして欠かせない「ファム・ファタール」がアイアイちゃんだって思えちゃうじゃない。

男たちを破滅させる運命の女。アイアイは違うと思う。

チョウとアイアイはもっとドライな関係。船の上でのシーンなんて

 こんな殺伐とした性って

 

まぁアイアイちゃんが野暮ったい水着の下からサッとタバコを取り出して2本咥えて火をつけて、

2人で燻らせるシーンなんてすごくかっこよかったけどね。

 そのタバコがいちいちビニール袋で防水されてるっていう細かさよ

 

ファム・ファタール

どうもアイアイちゃんは違うと思う。

だとしたら、この映画の中でそれは誰?

関わる者を狂わせ破滅させるアレ……

 

30万元! だとするとチョウ本人? オム・ファタール……(自ら破滅を選んだ運命の男)

もしくは

 

結果的にアイアイを利用しゲンナマ30万元を手に入れた

シュージュンかもしれませんな。

 

シスターフッド」そんな単語が思い浮かぶふたりの歩く姿を見つめるカメラ。

 疲れ果てたアイアイを引っぱるように歩いていくシュージュン。

 一瞬顔を見合わせ微笑み合うふたり。

 

こうして映画の骨組みを洗いざらい書いちゃう野暮な私ですが

この作品は絶対「観ないと面白くない」もしくは

「物語より映像」なので

是非劇場で観てほしい。

 

・ビー・ガン『凱里ブルース』『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯へ』をご覧になった方は

 あの前科持ちのおじさんが

 実に不穏な役で登場するのにお気づきでしたでしょう。

 鵞鳥湖と凱里は繋がっているのかもしれません。

 

・リウ警部(リャオ・ファン)とアイアイ(グイ・ルンメイ)は

 前作『薄氷の殺人』(2014)に引き続いての出演ですが

 こっちのグイ・ルンメイちゃんはまさにファム・ファタールと言っても過言ではない。

 幸薄そうで、関わる男はかたっぱしから(略)

 影しかない女。

      舞台が北から南に移るとこんなにも色彩感覚が変わるものなのか

 

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・目を血走らせながら食らう牛肉面……

食って雄弁よね 

太陽に殺される季節のおこもり映画館。(お外に出るのは命懸け)

ニッパチという言葉がある。

この時期はモノが売れないので諸々避けられるんだそうだ。

映画も例外ではないのかもしれない。知らんけど。

 

どうもピンとくる新作がなかなかこねぇなぁ

あまり映画館に通わなかったのだ。

 

そもそも都内の仕事が全くなく

往復で電車代だけで1000円かかってしまう身としては

わざわざ上京して劇場まで出掛けるなら

いっぺんで済ませてハシゴしたいし

何よりも

 

長すぎる梅雨が明けたと思ったら

太陽に殺されるレベルのクソ暑さである

台北33℃の日の都内37℃ってどういうことだ

気候が逆転してるじゃないかよ

台湾行きたい

 

とてもじゃないけど気軽に都内に行く気分にならなかったのである。

ちなみに私の住んでいる街は都内より常に2℃ほど気温が高い

駅までちょっとだけ歩くのも億劫なのだ。

 

睡眠も不安定で

西日がモロに当たってクソ暑い部屋、薄く冷房を入れてひたすら引きこもっていた。

 

しかし、

ちょっと先月の鑑賞記録を眺めていたら

16本も観ていたのだ。

そんなに。驚いた。

これにはどうやらちょっとしたカラクリがあるらしい。

  らしいってなんだよ。自分の行動だろうが。

 

まず新作。これは上京しないと観られない。

ディック・ロングはなぜ死んだのか?

ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー

この2本しか観ていない。新宿でハシゴした。

 

あと本格的に再開したアテネ・フランセのえげつないプログラムとチケット争奪戦。

中原昌也への白紙委任状『鏡の中の亀裂

ニュージャーマンシネマ特集『過激なフェルディナント』『ビール戦争

ペドロ・コスタ特集『ホース・マネー』『短編集(六つのバガテル他)

 

アンスティチュ・フランセがついに前売り制を導入し、

「そこらに並ばせとけ完売しちまったらとっとと帰せ」から進歩を遂げたわけですが

私の観測範囲ではアテネ・フランセとK's cinemaと神保町シアターがまだ博打的要素を残していますな。

早稲田松竹今敏監督特集←New!

この夏のアテネ・フランセは過酷でした。なにせ

チケット買うのに1時間以上前に並ばねばお席がご用意されない

しんどかった。上映1時間前からのチケット販売、その前1時間半前に行って並んでいないとならないという真夏の拷問。

早稲田松竹今敏監督特集←それ以上の混乱

 

しかも、しばらく閉鎖されていた直後なので堰を切ったように特集上映が次から次へと。

 

ここの上映ってほとんどレアものなんだよね。

文句があっても行かねばならない。わぁい試されてる! Mっ気試されてるぅぅぅぅ!

マスクかけて余計な熱と酸欠に苦しみつつ御茶ノ水の緩い坂道を歩くわけです。汗だく。

 

すげぇ早く行ってとっととチケット確保だけしてソバ食いに行っちゃって

帰ってきたらもうお席がなかった、というのは大失態でした。

収容人数の計算はしばしば間違えられるものであり、余分に勘定されちまった人々は

3密そのものの補助席に放り込まれ

小さなスクリーンを遠目に眺める羽目に陥ったわけでした。意識遠のいたわ。

お席はなんぞかで確保してからソバ食いに行くべし

 

そして前売りを確保して快適に観に行けたアンスティチュ・フランセ『美しき諍い女』。

これ観てるようで観てなかったんだよね。

芸術と寵愛をめぐる心理戦が4時間に渡って繰り広げられる濃密な作品。

しかし公開当時の売りは

エマニュエル・べアールのヌード一色だったような気がするんです。

ハダカのオンナに惹きよせられて4時間頑張った人の感想が聞きたい是非聞きたい。

 

ひょっとしたら、お外で観たのはこういうシネクラブの旧作と

アテネ・フランセ帰りに時間が合ったので神保町シアターで観た『ミスター・ミセス・ミス・ロンリー』くらいかもしれません。

 

好きな作品はたんまり名画座にかかっていたのですが、

配信があるとどうも出かけて行って観る気にもならず

神保町シアター80年代ノスタルジアII

スローなブギにしてくれ』『風の歌を聴け』も配信で済ませちゃったし

(わざわざ劇場と時間を合わせるという酔狂ね)

早稲田松竹でかかっていた『アンジェリカの微笑み』も同様。便利すぎてもう。

 

あと録画してあった『狼よさらば』とか

(去年観たそっくりさんの答え合わせのつもりだったんだけど、音楽がハービー・ハンコックでめっちゃかっこよかった)

妙にネットで盛り上がっていた『来る』とか(柴田理恵無双

アマプラの「傷だらけの天使」にハマってるので『青春の殺人者』とか観てたかな(市原悦子が全部持っていってもうすっかり)

 

そうそう、これすごい進化だな、と思ったのが

台湾文化センターで開催されていた上映会。

これも去年まで虎ノ門まで行かなければならなかったのが、

オンラインで開催されることになって超便利だと思いました。

ぼくの人魚姫』『ここからの未来』の2本を鑑賞。

オンライン上映のはずなのに100名限定で申し込み受付後あっという間に埋まってしまうという

レア感もしっかり残した上映形態です。

これすごいよ。申し込みさえ忘れなければ(非常にしばしば忘れる)

寝起きでもコーヒー飲みながらでも観られて

しかも解説まで聞ける。

正直言って虎ノ門の会場はあまり快適とは言い難いので、これは本当に考えた人すごい。

コロナの時代のシネクラブってこんな感じなのかもしれません。

 

もっとも、

あんまりうちの狭い方丈で全て済ませちゃうと

「人にまみれる」ということを忘れちゃう火星サバイバル状態になりかねないし

わが敬愛するシンガーソングライターダンサー様が

へーぃえびばでぃ好みのぎゃるもビデオばかり見てたなら出会う機会も失せるぜ

とおっしゃってるので

はーいはーいはーい

とレスポンスしながら

9月も都内の仕事の予定はないけど

K's cinemaでまた鬼畜な特集上映がいくつもあるので

宿取ってでもたまには劇場で観なくちゃね

 

K'sって御茶ノ水より鬼なのは

チケットの発売が

「その日朝イチの上映作品と同時に発売開始」なので

人気作観たかったら9時くらいにはいなきゃならないってことなんですわ

 

鬼だわぁぁぁぁぁ

 

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写真の1枚もない殺風景な記事なので

神保町のビャンビャン面の写真でもご覧ください

図書館映画について思ったまんま書くよ。

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コゴナダ監督『コロンバス』(2017)と

エミリオ・エステベス監督『パブリック 図書館の奇跡』(2018)と

ちょっとたまたま図書館が舞台の映画をいくつか観たので

思いつくまま書いてみようと思いまして。

ちょうどこれもソフト化されるというタイミングだし

moviola.jp

 

もっとも私は公共図書館に勤務経験はないんですよね。

大学図書館を何箇所か転々としてきました。

国内屈指の規模の大学図書館から

閲覧室からライターの音がするのでスッ飛んでいって取り上げるレベルのところまで

いろいろなところを見てきました。

本当の公共図書館の現場については伝聞でしか聞いたことがないんです。

 

ワイズマン『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(2017)につきましては

こちらにレビューとして「観たまんま」「徒然なるままに」書いていますが

これは「ガチ世界最高峰」の図書館のお話。

 

なおこちらは観に行ったときのレポート

ohirunemorphine.hatenablog.com

もう眩しくていられませんでした。

(しかしその後ワイズマンの過去作を観る機会があり、

 この人しれっととんでもない皮肉ぶちかますんじゃないか と思うところあって

 ラストシーン近くでとても気になった部分を確認したいと思っています。

 そういう意味でもソフト化はめでたい。)

 

そして実際自分が学校で「アメリカでの司書の地位の高さ」を聞かされてきたせいで

わーまぢで専門職憧れるわぁぁぁぁぁ

だったのですが

これはトップおぶトップの世界のお話だったのですよ。

 

『コロンバス』は「建築映画」としても非常に評価が高く、

その静謐で構築的な美しい画面も印象的な佳作ですが

ごめんなさい、私はたった一言のセリフで全て持ってかれてもうダメでした。

「図書館学修士なんて無駄 仕事がない」

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図書館に勤める女の子に対して男の子が放った一言。

アメリカでもインディアナ州ではそうなんだ……

地方によっては事情は様々とは聞きましたが……

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クレオ・ロジャース記念図書館

 

一言のセリフがぐっさり刺さり、

もうあとはあんまりよく覚えていません。

ストーリーより画面で語る映画だったのが救いですわ。

 

しんどいわぁ

仕事ないんだよなぁまぢで。ほんとに学位なんて無駄なんだわ。

と思いながら昔の同級生を思い返すと

 

学部で国家二種に合格して各地の図書館に正職員として散っていった友人たちとか

修士(博士前期課程)から博士(博士後期課程)に進んで今となっては大学准教授、とか

そんなんばっかりいてました

ごめんなさい私の努力不足です

そりゃ縁も切れますわ

こんな腐れた人間とは関わってはいけない人種に進化あそばして……もう私たち世界が違うの

 

まぁ私は現場にいた頃ちょっと諸々のシステム上のエラーに巻き込まれまして

その後心理的に図書館に足を踏み入れるだけで心臓がバクバクするという

働きたくても働けない状態にある、ということは言わせてください。

私の名誉のためにも。

あえて「システム上のエラー」ということにしておきます。

どーなんでしょうね、アメリカではこの「システム」あるんでしょうかね。

 

あと「このシステム」では図書館員のお給料めたくそ安っす過ぎて食っていけない。

戻りたくても戻れない、もうひとつの理由がこれです。

 

『パブリック 図書館の奇跡』には

ひょっとしたらアメリカでも図書館員のお給料って安いんじゃないかしら

と思わせる描写がありました。

後述します。

 

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恐ろしいほど大量のピザが図書館に届けられるシーンがありまして。

このシーンには「前振り」があります。

 

エミリオ・エステベス演じる図書館員グッドソンくんは

仕事終わって帰宅するときピザをテイクアウトするのですが

いつもプレーンを選んで自分で具をトッピングします。

その具は自家栽培 その方が安く上がるからって

 

この細かい金銭感覚。

いや、わかりませんけど。

これは彼の過去にも関わってくることかもしれませんので

ちょっと後半にほっぽります。ロングパス。

 

   全部後半に続く投げっぷりでスミマセン

 

厳寒のオハイオ州シンシナティ公共図書館がホームレスに占拠されるという

ざっくりした粗筋。

これは公共図書館がどういう位置づけの施設であるかが関わってきます。

そして、図書館員グッドソンくんの過去にも関わってきます。

 

まず公共図書館とは「社会福祉」と不可分な施設なのですよ。

すべての人に対して開かれ、必要な情報へリーチするための施設なのです。

単に本を貸し出すだけではない。必要な学び、必要な情報を提供する場なのです。

あらゆる人々を受け入れる場所なのです。

しかしその前提によっていくぶんかの問題が生じます。

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『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』と比較すると割とリアルだなと思うのは

「すべての人に開かれている」ゆえの難儀を描いているところなんじゃないかな、と思います。

ドキュメンタリーに比較してこちらの方がリアルだなと思ったのはちょっと不思議なんですが。

より地域に開かれた場所、ゆえに起きるトラブル。

 

公共図書館に勤務している友人が言っていました。

ホームレスが居ついてどうしたらいいのかわからない

すべての人に対し開かれた場なんだから居てもいいじゃん、というのは綺麗事。

私も一度あります。ホームレスにベタ付きでレファレンスする羽目に陥ったこと。

 

凄かったんです。匂いとか。

そういう人たちに触れられた資料大丈夫かってレベルだったんです。

くそ偏見って言われても仕方ありません。

しかし、それを口に出すことは許されません。

 

数えるほどしかそういう事例にでくわしたことがない私がこう思うんですから、

ホームレスに屯されたらどうなるかだいたいわかります。

どうなんでしょうね。

 

『パブリック 図書館の奇跡』では

「臭い」とお引き取り願ったホームレスに訴えられる、というくだりがあります。

簡単に言えば「排除された人に対する人権侵害」という理屈です。

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図書館の自由に関する宣言」に

「すべての国民は、図書館利用に公平な権利を持っており、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない」

とあります。

アメリカの「図書館の権利宣言」にも同じような文言があります(あちらが大先輩なんでしょうけどね)。

しかし、基本的人権とは「公共の福祉」という縛りがあったような。

ちょっと調べたら、少し古いですが武蔵野市の事例が見つかりました。

アメリカではどうなんでしょう? 

 

理想は理想なんですけどねぇ

ホームレスがトイレ占拠して歯を磨いたりお洗濯したりするのってそれも寛容であらねばならないのでしょうか。

情報を得るための手段として提供しているインターネットで出会い系サイトやらエロサイトやらを閲覧されるのも寛容であらねばならないのでしょうか。

 

それを否定することはできません。あくまで「理念」としては。

そういえば私にもこんなことがありました。

 

学生が図書館でYouTube観ながらオタ芸踊ってたのを眺めてたとか

 

必要な情報を収集する手段として提供しているのですから、彼にとってそれは必要な情報なのです。まぁそれは実害ないし面白かったので放っておきましたが。

 

あとは「ヤのつく職業の方々がいらっしゃるので盾として重宝されてしまう」男性図書館員の話も聞いたことがありますな。

女性の多い業種なのでそういうところでも矢面に立たされてしまうのだそうで。

彼は護身術を習い始めたそうな。

 

と諸々「開かれた施設の難儀」をあれこれ聞いたことをお話ししてきましたが、

公共施設の方々って神ですか仏ですか。心が広くなければやっていけません。

まさに「本と人が好き」じゃないと務まらんです。

 

ここまでは私が見て聞いてきた話ですが、

結局『パブリック 図書館の奇跡』は

まさに「奇跡」としか言いようがない物語なのですよ。

 

図書館員グッドソンくん自身が荒んだ生活のホームレスだったということ。

「開かれた施設」図書館で学び、そこから抜け出し学位まで得ることができたこと。

自らが図書館の職員として仕事を得るということができたこと。

そんな彼だからこそ、厳寒の街中で過ごすホームレスを「放っておけなかった」こと。

また彼を見出し、職員として雇った館長が素晴らしい人格者であったこと。

 

奇跡ですよ。私にとっては奇跡としか思えません。

教養を身につけることによってどん底から抜け出すことができるということ。

シンデレラストーリーですかって。

ホームレスがゲスなTVレポーターにマウント取れる「教養」。

 

しかし、そういった経緯で図書館員になったグッドソンくんだから、

ちょっと身分は不安定なのかもしれません。

プレーンピザとトマトピザの価格の差に敏感になってしまうくらい。

思わずデリピザが食べたくなるシーンですが、実際そんなシビアさを思うと

どうなんでしょうね?

 

アメリカでは解雇は簡単だと聞きます。

こと「図書館」という業種においては

簡単に解雇されてしまうのと

「日本の図書館業界にのさばってるシステム」とどちらが安心なのでしょうか。

ふと考えてしまいました。

(注・日本で幅きかせてるシステムでは、概ね「雇用期限」があります! さぁどっちがいい? )

 

どうしても「図書館」という存在には愛憎拮抗する感情があり

それは「存在」としての図書館に対する感情と「それを運営するシステム」のクソさに対する感情ではありますが

ついつい長文失礼いたしました。

 

なお、

『エクス・リブリス』にも『パブリック』にも

すごい質問が矢継ぎ早に来る場面がありましたが

私が思い出せる限りいちばん説明に難渋した案件が

マルセイユはいつ村か町から市になったのか」という電話問い合わせで

(これはうちらが回答することではありません! 自分で調べるために資料はあるんです!)

 

回答するのに軽くレポート書けるくらいに調べ込む羽目に陥ったのが

「サンヤスカガキとは何か」という質問でした

 

授業で指定された雑誌記事が借りられちゃってて読めない! タスケテ! 

という学生には

とりあえず君の住んでるところの図書館にあるか調べよう! まずは落ち着け!

とかそういうこともありました

 

こういうことも図書館員のお仕事なので

「本読めて楽ちんね」とか

「いつも棚の整理してるあの人たちね」というと

中の人たちがプンスカしてしまう可能性がありますのでご注意ください