第19回東京フィルメックスが終わって、私の冬がやってきました。
今年の映画祭ラッシュで驚いたことがあります。
毎日毎日毎日毎日朝から晩までどっかの上映観てる人が
世の中にはこんなにいるんだってこと
いつ寝てるの?いつ起きてるの?電車とか乗ってんの?
そもそも
おうちにちゃんと帰ってるの?
そんな映画好きというよりむしろ尊敬の念を込めて放送禁止用語すら持ち出したくなるような方々の
情報を網羅し、適切な作品を選択し、チケットを確保し、いついかなる時間でも
そこに時間通りに行く
という、秘書と運転手でもいるんですかっていうような自己管理能力に恐れおののいております。
私自身は、(なぜか秋に集中している気がする)特集上映の全てを網羅してると
そもそも働けねぇということは収入がねぇ
自分が従事する仕事はバカでもできるとはいえ、ある時間拘束され、「時間を売らない」限りは安酒も呑めず睡眠も取れない。
俺は睡眠に課金しています
そして
毎日真っ暗な中で過ごして終電で帰宅ってのは自律神経にきませんか
やられました。腰と全身の筋肉と自律神経が。ただでさえ息してない自律神経が完全に逝かれました。
眠れない薬が効かない
めでたく一旦眠れたら今度は起きられない
というわけで
後半戦はお昼の上映にすら間に合わないという体たらく
もう諦めて 今日は行かね とお家から出なかったら
その日にかかった映画がグランプリだったりするわけですよ
というわけで前置きが長うなりましたが、
第19回東京フィルメックスについての雑感を書いてみましょうかね。
改めてこちらをどうぞ(とサイトを示す雑ブログ)
その豪華さにおののいた今年のラインナップ。
しかし、例年「なんとなく傾向はあるな」と感じてきたように
今年もしっかり「トレンド」はありました。
正直、「……またぁ?」と思わせるレベルで。
世界各地で似たような民話や伝承が同じような時期に発生する、という民俗学的な説でも納得します。
今年の傾向は
「フィルムノワール」
「自と他、現実と夢(あるいは銀幕の中外)の融合」
「見知らぬ男を助ける」……
そして「ウォン・カーウァイ」。
コンペ作にとどまらず、アミール・ナデリの最新作までバッチリそんな感じ。これはどういうことなんだ。
審査員特別賞、ペマツェテン監督『轢き殺された羊』。
これは実際にウォン・カーウァイがプロデュースした作品で、「西部劇テイスト」を無理くりフィルムノワールに当てはめるとすべての要件をクリア。
いやこれすごく面白かった!
実はフィルメックスでペマツェテン監督作を観るのは初めてだったので、この洒脱なユーモアが「もともとそう」だったのか、ウォン・カーウァイの影響なのかがわからないのが残念です。
いかつくも心優しく信心深いトラック野郎と、
小汚くも端正かつどことなく育ちの良さを感じさせる旅人、2人の「ジンパ」。
旅は道連れ世は情け、袖すり合うもなんとやら、マニ車の回転もかくや、「輪廻」なる概念をも思わせる2人の縁。
スタンダードの画角は無駄に「辺境」を売りにすることのない収まりの良い大きさで、
肝心の2人の顔を正面から撮っても「顔を半分しか映さない」。
荒野を突き進むトラックの轍の跡を彩るのは なんと「オー・ソレ・ミオ」大音量w
トラック野郎ジンパが、轢いてしまった羊を律儀に弔うシークエンスも最高です。
戸惑う坊さん、茶々を入れる寺男。
そして「羊の恩返し」のように、それからの物語は転がっていくのですが……
羊肉半身分(ワイルドに売られてる食用)を担ぎ、
茶館で食らうは
肉1キロ(骨つきをセルフで削り取りながら食う)
まんじゅう15個
お茶ガブガブ
怪しいバドワイザー2本(謎の作法あり)
それでもまだ食うんか!
実は飯テロ映画。
色っぽい茶館の女主人が語る旅人ジンパの物語は、そっくりそのままトラック野郎ジンパの「いま」そのまんま。(ここの撮影が超かっこよかった)
この2人の境目はどんどん溶けてゆきます。
そんな夢とうつつの曖昧さはチベットの箴言に基づいているらしい。
だから、たぶんしばしば現れる「回転」のモチーフ(トラックの車輪、茶館のじいさんが回すマニ車、そして2人のジンパの、円環を思わせる縁)が説得力を持つ。
そうなんだよな、
今回ぼんやり今年のトレンドと受賞作を眺めていて
ハイレベルにもほどがあった出品作の数々の中から受賞するっていうのは
「裏がしっかりしている」からなんだなぁ、と思ったんです。
スペシャル・メンション、広瀬奈々子監督『夜明け』。
川べりで気絶している男を助け、連れ帰り世話をする初老の男。
なぜ彼がこんな素性も知れぬ怪しい男に親切なのか。
この作品には、先に挙げた「見知らぬ男を助ける」「自と他が曖昧になる」ふたつの題材が見られる。
他者として扱われる自己と、それに応え、越えてしまいそうになる自己。
しかしその理由は恐ろしいほどの「投影」であり、過剰なまでの「共同体への幻想」であり、自己を捨て共同体に取り込まれそうになっていた男は、そこから自らの力で脱出する。
公開が間近ということで、抽象的な表現になってしまって歯がゆいが、このように「きっちりした裏付け」があるというのは強い。そして、私が個人的に好感を持ったのは
・溶けそうになった自我を取り戻すことに成功し、絡め取られた網から逃げ出すことに成功した
・「家族」「絆」と、善きものとされている概念を疑い、その薄気味悪さを描けている
ここなんだ。
溶け合った「自」と「他」、そのままこの世ならぬ世界に行ってしまう作品が多かった。「自我を取り戻す」までを描ききった作品、意外となかった。
そして「絆」の薄気味悪さ。絆、縛るものだよ。なんでそんないいものだとされているの?
もちろん、是枝ブランドは強いなぁ、とも感じている。監督自身も「恵まれていた」と語る。そりゃそうだ。是枝のコネクションをフルに使えるんだから!
そして、「イレギュラーな家族」を描き続けてきた是枝監督のお眼鏡にかなったこの企画。やっぱりなんつーか、「是枝の直系」だ。
この先、「脱皮」できるか?
(どうでも良いが、監督がこの作品を作るきっかけとなったのは東日本大震災だというが、この作品からは震災の影響は感じない。あれから日本にはいろいろな災害が起き、「日本全国総被災地」だ。「震災」「フクシマ」からインスピレーション受けた、というのはなぜこんなに多いのか。)
個人的に今年の目玉だった、ビー・ガン監督『ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト』。
学生審査員賞を受賞しましたが、
これ扱い難しかったんじゃないかなぁ。
映画そのものが壮大なる実験なんだもん。
で、先ほどの「今年のトレンド」では、「フィルムノワール」「銀幕の内外の融合」「ウォン・カーウァイ」3つにあてはまる。
てーか今日本の自主制作界隈で「クロサワの弟子」がぞろぞろ出てきてるのと同じように、
「新鋭が巨匠となった今」フォロワーがぞろぞろ出てくる頃なのかな。
ウォン・カーウァイがアジアの若い作家に与えた影響半端ないんだなぁ。
もう青いネオンに赤い照明、雨ざんざかの画面見ると全て「あー」と思っちゃうよ。そこからどう「脱出」するかこの先の楽しみになるのかもなぁ。
結構賛否両論のこの作品でしたが、個人的にはここまで風呂敷広げてくれると好きにならずにいられません。冒頭の人を食ったような注意書きを忠実に実行する観客の皆さんが素晴らしい。
前半が好き、後半が好き、そもそもどちらもわけわかんなくて苦手、そもそも3Dにする理由がわからない、などもう言われたい放題ですが、ありったけの実験精神をここまでスタイリッシュにまとめた手腕と、個人的には
後半の超長回し、セットかロケか知りませんけど、
ものすごいダンジョン感で、この動線考えた人天才なんじゃないかと思う。
深さ、高さ、低さ、奥行き、素晴らしいとしか言えない。
その上で思わせぶりな前半部を全て回収してるの。うまい!
だって前半全然意味わかんなかったんだもん。
予告編でカラオケ歌っている白いパナマ帽の男は主人公じゃないって案外気づいてない人多いんじゃないかしら、って言って自分でも自信ない。奥でぶら下げられてたのが主人公だよね?そのレベルでバラバラに放り出されたパズルのピースが、「夢」あるいは「映画内映画」で回収されていく小気味よさ。それをほぼワンカットですよ……大変な実験ではないですか。
いや、本当に夢のような映画体験で、私も行ったきり帰ってこられなくなりそうでした。
「映画体験」ってうっかり言ってしまいましたが、まさにその言葉がピシャッとハマる作品だったんじゃないかな、って思います。全体の出来が図抜けてた、というよりもむしろ。
来年の夏、ビー・ガン監督の前作『凱里ブルース』と一緒に公開されるそうですが、その時に3Dで観られるか、こんないい音響で観られるか、わかんないですからね。
さて。
グランプリの発表です。
これまでのフィルメックス受賞作の傾向って、やっぱりありました。「社会問題」です。
今回のコンペ作って、意外とそれを扱っているのがなかったんです。もしくは、隠し味として使われているか。その地域の問題を、より普遍的な物語として描いた結果、問題が薄れてしまった、という感があるものも(かえって、「ひとつのおとぎ話」として捉えることができた、という好意的意見もつけ加えておきます)。
そして、意外と「女性が強い」作品も、あんまりなかった。きょうびの流れ、ここはポイントかなぁ、と。
そして、何より私が「これが獲るかな」と思った理由は
私が観ていない作品であるということ
はい、予想は的中しました。
グランプリは、セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督『アイカ』でした。
不法移民女性の過酷な運命を力強く描いた……とは言っても、観ていないんだからあまりいろいろ言えません。
フィルメックスに強いテーマって、やっぱりあるんだな、ということと、
今回、賞の授与にはかなりバランスを考えたんじゃないかなぁ。
中華圏からの出品多かったけど、台湾金馬奨と色々モロかぶりだったし。
繰り返しますが今年のありえないハイレベルぶりには、
あんまり客にいいもんばかり食わせちゃいけないよ!
客が肥える! どんな素晴らしい作品にもいちゃもんつけちゃう!
としみじみと感じた次第でございます。カロリー高ぇ。まぢで。
しかもどれもこれも演出が洗練されてんだよ…一時「見せたもん勝ち」的な品のないリアルばかりだった時もあったじゃん……あれ辛かったからさ……
しかも今回は開催期間に比べて上映作品がぐっと増え、1回上映で観逃した作品が多いことが悔やまれます。
丈夫な体と通いやすい家と
毎日通っても平気な財布が欲しいわ
実は、今年の目玉のひとつ、フー・ボー監督『象は静かに座っている』
これは観客賞がなければないな、と思っていました。
観客賞は近浦啓監督『コンプリシティ』。なんと開会式+ホン・サンスの裏でやっていた作品です。
開会式を蹴って行く客が多い映画……そりゃファンが多そうです。
もっとも、今年の観客賞投票はQRコードでの投票、どうやって集計して結果出しているんだろう、と統計方面的に不思議だなと思ったりもしてしまいました。
テキストばかりで延々のんべんだらりと書いてきましたが、
秋の例大祭、終わりました。
対照的なこのふたつの映画祭。
お金のかけどころを間違ってる、としか思えなくなってきたTIFF。
レッドカーペット、いらないんじゃないかなぁ。
開会式のお偉いさんの口から出る『東京物語』。本当に見たことありますか? 私はないです!
審査員長の苦言も「リアリズム一筋の人に言われたくないなぁ」とちょっと反発したりしたのは事実ですよ。映画に対するスタンスはひとつじゃないはず。
だから今回TIFFコンペについては何も感想はありません。もうコンペですらなくていいと思う。セレクトは面白いんだから。
フィルメックスの開会式はわずか10分。
存続の危機を乗り越えた感謝の言葉が、フツーに淡々と述べられ、
普段着の審査員たちが控えめに壇上に立ち、それだけ。
さっさとオープニング作品上映へ。
去年まではセレモニーじみたものはありました。それをばっさりカットしたという、潔さ。それで十分なんです。
審査委員長のウェイン・ワン監督も「レッドカーペットがないところがいい」と言ってましたよね(通訳さんが訳し忘れて、後で漫談みたいに訂正してたので、私の英語耳が正確かどうかちょっとおぼつかないのですが……ってか、アワードってそんなゆるくていいんだ! と、司会進行はミスが許されない、と叩かれてドロップアウトした自分にとっては目から鱗でした)
あとどうしてもフィルメックス公式ゆるキャラにナデリンを据えることはできないかw
朝日ホールに住んでるんじゃね疑惑!
さて。
秋最大の楽しみだった東京フィルメックスが終わり、
日常が帰ってきます。
働かなくちゃ、と思いながらも
思うように日程が埋まらなくてどうしようと思っている……そろそろ冬。
通いやすいところの仕事くださいできれば都内しかも屋内がいいです