映画について私が全然知らないいろいろな事柄

更新がとまっていますが @ohirunemorphine が、だらだらと映画についてあれこれ考えます。

この2作品を同列に考えることへのちょっとした考察。(全てのネタバレあり)

かの徳永様がおっしゃるには

 

思春期に少年から大人に変わる♪

 

なつかしのH2Oは

ガラスの階段登るきみはまだシンデレラさ♪

 

名曲ですね〜〜。

もはやあの頃を遠く離れたわが身には

とても尊い時間と感じます。

 

階段。

そうなんですよね。

感覚的に、ここまでの成長って坂道をあがるようなものだと思います。

しかし……13歳から15歳、だいたい中学生くらいかな?

ここは坂道のようになだらかにはいかない。

知らなかったこと、自分でも自覚していなかったこと、知らなくてはならないこと、

ガタンガタンと目の前に押し寄せてきます。

通過儀礼というものは別に制度としてあるわけではなく、

まさに日々の生活にあるのです。

 

それを越えてしまえば、まぁ色々あるとは思いますが

また坂道をのぼっていきます。

 

まぁ俺くらいのババアになると坂道転げ落ちるだけで

あとは崖から落ちるだけだがな。

 

言ってみれば「なだらかな持続が物語となり得る」と「越えねばならない壁が物語となり得る」うまく言えませんがそんな感じでしょうか。

 

ここしばらく、そんな不安定で多感な時期を描いた映画を幾つか観てきました。

題材にしやすいのでしょうか。

トム・リン『星空』がもう尊くて五体投地するレベル…

これは別項で語りたいくらい。

ファティ・アキン『50年後のボクたちは』ジョーダン・ボート=ロバーツ『キングス・オブ・サマー』なども、『スタンド・バイ・ミー』路線の思春期映画でした。

 個人的には『スタンド・バイ・ミー』の素晴らしさを改めて実感……

 あとこれ系映画で好きなのはミシェル・ゴンドリー『グッバイ・サマー』です

 

さて、今まで数ヶ月に渡って、幻の青春映画の双璧、エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件』イエジー・スコリモフスキ『早春』についてあれこれ書いてきました。

少年が惚れた女の子を勢い余って殺してしまう……という点で

この作品を並べている方も多いことでしょう。

 

さて、この2本は同じ分類として考えていいのでしょうか?

同じ請求記号を打っていいのでしょうか?f:id:ohirunemorphine:20180212141234p:image

http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/support/opac

(画像はお借りしました)

請求記号ってコレ。

ざっくり1番上の段の数字が、その資料が「なんについての資料か」 を表します。

これ、読み方にコツがあります。例えば上記の数字だと「はちいちろくてんご」。それぞれの数字に意味が持たせられています。

図書館の書架を探すと似たような本が集まっているのは、このためです。余談です。

まぁ図書館で背ラベルを貼るにも各館で判断が分かれます。別に同じでもいいんだ。

けど。もし私が担当者なら、3桁の数字の2桁目以降を変える。

『牯嶺街』と『早春』 は、私の中でははっきり違う文脈を持った作品なのです。

 

恐ろしくざっくり言ってしまうと、『牯嶺街』は台湾の社会情勢を抜きには考えられません。不安定な社会、不穏な空気を感じ取り徒党を組む少年たち、その少年たちの関係性を抜きにしては考えられません。子供たちは揉まれながら、殴りあいながら、(そして殺し合いながら)階段をのぼっていきます。

 

その真ん中にいるのが、これまた情勢に翻弄されてきた少女です。翻弄されてきた故にスレ切っていますが、愛らしさが武器。武器は捨てない。

彼女を巡って少年たちが駆け引きを繰り広げます。彼らは「社会」あるいは「関係性」の中に否応なくぶち込まれているのです。

この作品では、恋をした少年の心情、そして行動は大いに周囲に影響されたものであると考えられます。彼、小四には、ロールモデルとして「ハニー」がいるのです。ハニーを手掛かりに、えっちらと階段をのぼろうとして、小四は悲劇的な行動に出てしまいます。

 

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一方『早春』 はどうでしょうか。

主人公マイク少年は、同じくらいの年齢の子供たちとの関わりを放り出し、少しだけ早く大人の世界に踏み込みます。

その大人の世界っつったってたいした規模ではありません。狭い職場が彼の世界です。まだ義務教育を終えたくらい、親の保護下にある描写はあらわれますが、おおむね彼は孤独です… おそらく自ら選んで。

そんな彼の目の前にあらわれた魅力的な女性。マイク少年はあっという間に夢中になります(今回の上映にあたって販売された小冊子での遠山純生氏の解説によると、この作品は「少年が働き始めてからたった1週間の出来事」を描いているんだそうですね!ロミジュリもびっくりの展開の速さだよ!)。

✳︎ZIN CINEMA VALERIA vol.5 「特集 イエジー・スコリモフスキ

 

ここで描かれているのはごく狭い世間の、ほとんど社会性を削ぎ落とした物語です。スコリモフスキ監督は、とても観客にウケたシーンをバッサリカットしたそうですが、まさにそこは「労働者たちの場面」。あえて、社会的な背景を削いだと考えていいでしょう。

 

この時期の男の子だったことがないのでよくわかりません(それ以下の小学生男子とおっさんが私の中で同居していますが、本当にこの時期の男の子のことはわからないんです)。

マイク少年がここでつまづいた「性」という階段 。はっきりと、彼が思いを寄せる女性スーザンは、性というものを堂々とまとっている。それがどんなものか知っている。

性って、きっととてもパーソナルなもので、同世代の友人がいないマイク少年にとっては未知の世界。ガールフレンドはいたようですが、感覚的に

 

ぴくりともしな

 

かったんじゃないかな。微妙なガールフレンド。つきあっていたのか定かでもない。

ここでマイク少年がひとこと

 

「あのころのことが遠く思える」

 

うわー!うわ!

学校やめて仕事始めてあっちゅーまにこれかよ!

この時期の少年、三日会わざれば刮目して見よ。全く、高みから見ているようなこのセリフ。

僕はもう君たちとは違うんだ。バッサリ。

 

そんな彼が思いを寄せるスーザン。奔放で、いろんな男とやりまくっていて、その噂話だけが聞こえてくる。狭い世間!

でも… マイク少年にはハナもひっかけようとしないんですよね。(あんな綺麗な子なのに…)

スーザンは何を基準に寝る男を選んでいたのかなぁ… 噂では全然相手選んでないよ…

 

「おねえさんがおしえてあげる」と言ってくれないおねえさんというドデカい階段。

マイク少年はこういうときどうすればいいのかわからず、ただココロに吹き荒れる嵐のままに行動します。こういうときどうすれば…… 誰にも相談できません、てーかしようとしません。彼は徹底して社会性を持たないのです。地図のない、道に迷った車のように彼は暴走し、どうしようもなく深みにはまっていくのです……

 

マイク少年のまわりにはヌードグラビアやピンナップがベタベタと貼ってあります。かっさらうのは物言わぬ看板です。

(全く関係ないけど、マイク少年が看板をかっさらい娼婦の部屋に逃げ込んだ時、周りで「アンジェリカがいない!」と大騒ぎになりますが、これ、ちょっと意味ありげな気がしませんか?北部から来た踊り子アンジェリカって本当にいたのか?ひょっとしたらこの看板、本当に「看板娘」だったのかもしれないってふと思いました。それも踏まえて)

言ってみれば彼女ら「2次元嫁」と接するには別に社会性なんていらないのです。彼女たちを好きなように愛でるだけ……想像とか妄想とかの中で。

スーザンのような3次元の女性(しかも主張の激しいタイプ)を攻める攻略本は彼のまわりにはなさそうです。それらは周到に取り除かれています。

そんな中つかんだチャンス。マイク少年がここでとった行動はちょっとドン引きです。彼がプールで看板娘を抱いたように、自分をスーザンに扱ってくれ、と言うようです。ここでは彼自身が「2次元嫁」、それ以上の知識がないことを悟らせます。

残念なことにスーザンには「おしえてあげる」なんてサービス精神はありません。当然コトはうまくいかず、サバサバとシーツをかぶった彼女は、電話で「今終わったわ」なぞとのたまいます(これはマイク少年には聞こえないところですが)。

階段をのぼり損ねたマイク少年は、どうしようもない衝動をスーザンにぶつけ、空っぽだったプールにはタイミングよく水が溢れ出し……

そしてマイク少年はあの看板を抱くように、物言わぬスーザンを抱くことに成功します。

 

愛する女性を殺してしまった後。

『牯嶺街』の小四は社会的制裁を受けたことが綴られ、周囲にもどのような影響があったのか描かれます。

しかし、『早春』のマイク少年はどうなったのか全く描かれません。

美しくバッドエンドで映画は終わります。どこまでもこの作品はパーソナルなのです。

しかし、どちらも断ち切られた青春というエンドです。

 

大人になってしまうと、物語はおおむね「緩やかに連続する」ものとなります。

その前に全てを断ち切って、いちばん残酷で美しい瞬間だけを残したなら。

 

そう考えると、ちょっと請求記号を打つのも考えますね。

ひょっとしたら、初めと終わりの数字は、同じものにしてもいいのかな。

 

さて。

 

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映画館でこの場面を観て

 

うわっきしょっ

 

とお思いになった諸君。

お気持ちはわかります。

 (口の中には物語のキーアイテムが入っています。飲み込んだらスーザンにとって一大事) 

 

 

監督の采配ですね。

たしかにマイク少年役のジョン・モルダー=ブラウンは綺麗な子です。主観です完全に。

しかし、どんなに綺麗な子でも、そういう設定がされてなかったらこんなに気持ち悪い景色じゃなかったでしょう。たとえば『ベニスに死す』のタッジオみたいに、あらかじめ「美少年」だったらわりと何やっても見るに耐えたんじゃないかな。

ジョンくんが持つ、人形のようなくせしてどこかぬめっとした、真っ白な肌の質感が、ものすごく効果的な場面でした。