映画について私が全然知らないいろいろな事柄

@ohirunemorphine が、だらだらと映画についてあれこれ考えます。

ダミアン・マニヴェル作品について その1『泳ぎすぎた夜』など。

やっとパソコンに向かう時間がとれました。

「待ってました」との大向こうもかからないい過疎ブログですが、

「待っていたとはありがてぇ」と続けましょう。

 

フランスの若手監督の中でも、ひときわ注目を集めているダミアン・マニヴェル

『犬を連れた女』(2011)でジャン・ヴィゴ賞を受賞し、その後カンヌ・ロカルノベネチアなどで作品が紹介されています。

昨年のフィルメックスには、五十嵐耕平監督(『息を殺して』など)との共同監督作品『泳ぎすぎた夜』が出品されました。

映画『泳ぎすぎた夜』オフィシャルサイト

www.youtube.com

 

マニヴェル監督についてですが、以前

『若き詩人』(2015)が公開された時に、われわれのプチ映画レビュー団体が勝手連としてレビュービラをこさえて配布した、ということもあり、まぁ、観られる時には見ておかなきゃ、という、これはもはや親戚のおばちゃんモードです。

 

フィルメックスで観た『泳ぎすぎた夜』。

こども! もちもち! コロコロ! かわゆす!

柴犬とガチ吠えあい圧倒的勝利かわゆす!

モヨオした顔絶妙! ほんと「あ、おしっこ……」てな顔! かわゆす!

なんというアタマの悪い感想がだだ漏れております!

真冬の八戸、厳しすぎる自然の中で繰り広げられる「命がかかったはじめてのおつかい」(しかし命がけであることは誰も気にしていない)

 

わんこニャンコとこどもには勝てない、とはよく言われます。

しかし、この映画、いわゆる「こども映画」じゃないんです。

たからくん、という圧倒的なエネルギーの塊が、北国の厳しい自然の中、どのようにその力をスクリーンに焼き付けるか。

セリフは全くありません。たからくんの身体性と、予期せぬ自然現象の数々が絡み合い、サイレント映画のような無言の雄弁が、スタンダードサイズの小さな画面に展開します。

この画面のサイズも絶妙。絵本です。ページをめくるように、お父さんが仕事に行ってから、息子が後を追う、そして帰ってくる。大切なページをめくるように、映画は進んでいきます。

またお父さんがシブくていいんだ……お父さんのタバコのくゆらせ方からしてすでにこども映画じゃないことがよくわかる。かっちょいいから見逃さないで!

 

たからくんが職業子役じゃないためかもしれませんが、役者さんをご家族役にすると「このひとちがう」と正直すぎるダメだしをくらったとのことで、実際のご家族が出演されました。このドキュメンタリー的な作劇はちょいちょい見ますね(同年の東京国際映画祭で上映された『ナポリ、輝きの陰で』でも実際のご家族が出演されてました。まぁ、この場合はリアリティを追求したものではないのかもしれませんが)。

その代わりかどうかは定かではありませんが、お家のセットや、間取りがわからないような編集にはこだわった、とどこかで伺った気がします。

音にもこだわったんじゃないかなぁ。というのは、この映画、とてもリアルに見えて、多分気付かない人は気付かないところに細かな仕掛けがたくさんしてあるんです。お母さんとお姉ちゃんが並んで観るテレビの音とか、親戚のお兄さんの車の中に響く音楽とか。(ここで突っ込むのは野暮だよ、と個人的には思います。そこでリアルを追求しないところがいいんじゃないか!)

 

自然を撮った……というのは、幾つかの驚くべきショットがあらわしています。これ相当天候待ちしたんだろうなぁ、と思いましたが、それは先日の

第21回 カイエ・デュ・シネマ週間

にて『パーク』(2016)が上映されたときのティーチインで「待った、撮った」的な言い方がされていたため、この監督相当偶然を装った必然としての自然のマジックにこだわるんだなぁ、と思った次第。

 

しかし先ほど言及したシーンは実は編集だったことが判明してうっかり爆笑したのは内緒です。そこまでリアリズムとファンタジーの境目は曖昧である!

 

真冬の映画が春先に公開されました。

私ももう一度行きたい! 本当は初日初回に行きたかった! 

ちょっと大きくなったたからくんに飴ちゃんもらいたかった

Twitterに、ベネチアでのマニヴェル監督との写真がアップされていましたが、かわいい紋付袴ですました顔で歩く、もちもちすべすべほっぺに、親戚のおばちゃんマインドフルパワーで炸裂してしまいました。

 

まだ各地映画館でやってるよ!

 

カイエ(略)で観た他の作品についても書きたいのですが、私はいっぺんに全部やってしまうと力尽きてしまって、更新はまただいぶ先、なんてことになりかねないので、次にしよう。

ウジェーヌ・グリーン『ジョゼフの息子』がすっごく面白かったので、次はそれについて書いてみようかな。ダミアン・マニヴェル監督ご推薦で上映された作品です。

 

そいではまたね。

 

シリア内戦のドキュメンタリーについて書きました。

ぷかっ。再浮上。

すごく難産だったこの文章。

こんなの掲載してもらえるのかなぁ…と

ボツになっても仕方ないと思っていました。

無事掲載されました。

正直、こわかった…早くまともなレビューに埋めてもらいたいくらいです。

 

ラッカは静かに虐殺されている』レビューです。

http://webneo.org/archives/45196

書いてますよ。

3月はめちゃくちゃ忙しかったのでブログのたわごとは更新できませんでしたが、

こちらには書いてます。

とてもあったかな映画なので日本公開されるといいな…

 

第18回東京フィルメックス上映作品

『ジョニーは行方不明』

http://kotocine.blogspot.jp/2018/03/18-text.html?m

この2作品を同列に考えることへのちょっとした考察。(全てのネタバレあり)

かの徳永様がおっしゃるには

 

思春期に少年から大人に変わる♪

 

なつかしのH2Oは

ガラスの階段登るきみはまだシンデレラさ♪

 

名曲ですね〜〜。

もはやあの頃を遠く離れたわが身には

とても尊い時間と感じます。

 

階段。

そうなんですよね。

感覚的に、ここまでの成長って坂道をあがるようなものだと思います。

しかし……13歳から15歳、だいたい中学生くらいかな?

ここは坂道のようになだらかにはいかない。

知らなかったこと、自分でも自覚していなかったこと、知らなくてはならないこと、

ガタンガタンと目の前に押し寄せてきます。

通過儀礼というものは別に制度としてあるわけではなく、

まさに日々の生活にあるのです。

 

それを越えてしまえば、まぁ色々あるとは思いますが

また坂道をのぼっていきます。

 

まぁ俺くらいのババアになると坂道転げ落ちるだけで

あとは崖から落ちるだけだがな。

 

言ってみれば「なだらかな持続が物語となり得る」と「越えねばならない壁が物語となり得る」うまく言えませんがそんな感じでしょうか。

 

ここしばらく、そんな不安定で多感な時期を描いた映画を幾つか観てきました。

題材にしやすいのでしょうか。

トム・リン『星空』がもう尊くて五体投地するレベル…

これは別項で語りたいくらい。

ファティ・アキン『50年後のボクたちは』ジョーダン・ボート=ロバーツ『キングス・オブ・サマー』なども、『スタンド・バイ・ミー』路線の思春期映画でした。

 個人的には『スタンド・バイ・ミー』の素晴らしさを改めて実感……

 あとこれ系映画で好きなのはミシェル・ゴンドリー『グッバイ・サマー』です

 

さて、今まで数ヶ月に渡って、幻の青春映画の双璧、エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件』イエジー・スコリモフスキ『早春』についてあれこれ書いてきました。

少年が惚れた女の子を勢い余って殺してしまう……という点で

この作品を並べている方も多いことでしょう。

 

さて、この2本は同じ分類として考えていいのでしょうか?

同じ請求記号を打っていいのでしょうか?f:id:ohirunemorphine:20180212141234p:image

http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/support/opac

(画像はお借りしました)

請求記号ってコレ。

ざっくり1番上の段の数字が、その資料が「なんについての資料か」 を表します。

これ、読み方にコツがあります。例えば上記の数字だと「はちいちろくてんご」。それぞれの数字に意味が持たせられています。

図書館の書架を探すと似たような本が集まっているのは、このためです。余談です。

まぁ図書館で背ラベルを貼るにも各館で判断が分かれます。別に同じでもいいんだ。

けど。もし私が担当者なら、3桁の数字の2桁目以降を変える。

『牯嶺街』と『早春』 は、私の中でははっきり違う文脈を持った作品なのです。

 

恐ろしくざっくり言ってしまうと、『牯嶺街』は台湾の社会情勢を抜きには考えられません。不安定な社会、不穏な空気を感じ取り徒党を組む少年たち、その少年たちの関係性を抜きにしては考えられません。子供たちは揉まれながら、殴りあいながら、(そして殺し合いながら)階段をのぼっていきます。

 

その真ん中にいるのが、これまた情勢に翻弄されてきた少女です。翻弄されてきた故にスレ切っていますが、愛らしさが武器。武器は捨てない。

彼女を巡って少年たちが駆け引きを繰り広げます。彼らは「社会」あるいは「関係性」の中に否応なくぶち込まれているのです。

この作品では、恋をした少年の心情、そして行動は大いに周囲に影響されたものであると考えられます。彼、小四には、ロールモデルとして「ハニー」がいるのです。ハニーを手掛かりに、えっちらと階段をのぼろうとして、小四は悲劇的な行動に出てしまいます。

 

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一方『早春』 はどうでしょうか。

主人公マイク少年は、同じくらいの年齢の子供たちとの関わりを放り出し、少しだけ早く大人の世界に踏み込みます。

その大人の世界っつったってたいした規模ではありません。狭い職場が彼の世界です。まだ義務教育を終えたくらい、親の保護下にある描写はあらわれますが、おおむね彼は孤独です… おそらく自ら選んで。

そんな彼の目の前にあらわれた魅力的な女性。マイク少年はあっという間に夢中になります(今回の上映にあたって販売された小冊子での遠山純生氏の解説によると、この作品は「少年が働き始めてからたった1週間の出来事」を描いているんだそうですね!ロミジュリもびっくりの展開の速さだよ!)。

✳︎ZIN CINEMA VALERIA vol.5 「特集 イエジー・スコリモフスキ

 

ここで描かれているのはごく狭い世間の、ほとんど社会性を削ぎ落とした物語です。スコリモフスキ監督は、とても観客にウケたシーンをバッサリカットしたそうですが、まさにそこは「労働者たちの場面」。あえて、社会的な背景を削いだと考えていいでしょう。

 

この時期の男の子だったことがないのでよくわかりません(それ以下の小学生男子とおっさんが私の中で同居していますが、本当にこの時期の男の子のことはわからないんです)。

マイク少年がここでつまづいた「性」という階段 。はっきりと、彼が思いを寄せる女性スーザンは、性というものを堂々とまとっている。それがどんなものか知っている。

性って、きっととてもパーソナルなもので、同世代の友人がいないマイク少年にとっては未知の世界。ガールフレンドはいたようですが、感覚的に

 

ぴくりともしな

 

かったんじゃないかな。微妙なガールフレンド。つきあっていたのか定かでもない。

ここでマイク少年がひとこと

 

「あのころのことが遠く思える」

 

うわー!うわ!

学校やめて仕事始めてあっちゅーまにこれかよ!

この時期の少年、三日会わざれば刮目して見よ。全く、高みから見ているようなこのセリフ。

僕はもう君たちとは違うんだ。バッサリ。

 

そんな彼が思いを寄せるスーザン。奔放で、いろんな男とやりまくっていて、その噂話だけが聞こえてくる。狭い世間!

でも… マイク少年にはハナもひっかけようとしないんですよね。(あんな綺麗な子なのに…)

スーザンは何を基準に寝る男を選んでいたのかなぁ… 噂では全然相手選んでないよ…

 

「おねえさんがおしえてあげる」と言ってくれないおねえさんというドデカい階段。

マイク少年はこういうときどうすればいいのかわからず、ただココロに吹き荒れる嵐のままに行動します。こういうときどうすれば…… 誰にも相談できません、てーかしようとしません。彼は徹底して社会性を持たないのです。地図のない、道に迷った車のように彼は暴走し、どうしようもなく深みにはまっていくのです……

 

マイク少年のまわりにはヌードグラビアやピンナップがベタベタと貼ってあります。かっさらうのは物言わぬ看板です。

(全く関係ないけど、マイク少年が看板をかっさらい娼婦の部屋に逃げ込んだ時、周りで「アンジェリカがいない!」と大騒ぎになりますが、これ、ちょっと意味ありげな気がしませんか?北部から来た踊り子アンジェリカって本当にいたのか?ひょっとしたらこの看板、本当に「看板娘」だったのかもしれないってふと思いました。それも踏まえて)

言ってみれば彼女ら「2次元嫁」と接するには別に社会性なんていらないのです。彼女たちを好きなように愛でるだけ……想像とか妄想とかの中で。

スーザンのような3次元の女性(しかも主張の激しいタイプ)を攻める攻略本は彼のまわりにはなさそうです。それらは周到に取り除かれています。

そんな中つかんだチャンス。マイク少年がここでとった行動はちょっとドン引きです。彼がプールで看板娘を抱いたように、自分をスーザンに扱ってくれ、と言うようです。ここでは彼自身が「2次元嫁」、それ以上の知識がないことを悟らせます。

残念なことにスーザンには「おしえてあげる」なんてサービス精神はありません。当然コトはうまくいかず、サバサバとシーツをかぶった彼女は、電話で「今終わったわ」なぞとのたまいます(これはマイク少年には聞こえないところですが)。

階段をのぼり損ねたマイク少年は、どうしようもない衝動をスーザンにぶつけ、空っぽだったプールにはタイミングよく水が溢れ出し……

そしてマイク少年はあの看板を抱くように、物言わぬスーザンを抱くことに成功します。

 

愛する女性を殺してしまった後。

『牯嶺街』の小四は社会的制裁を受けたことが綴られ、周囲にもどのような影響があったのか描かれます。

しかし、『早春』のマイク少年はどうなったのか全く描かれません。

美しくバッドエンドで映画は終わります。どこまでもこの作品はパーソナルなのです。

しかし、どちらも断ち切られた青春というエンドです。

 

大人になってしまうと、物語はおおむね「緩やかに連続する」ものとなります。

その前に全てを断ち切って、いちばん残酷で美しい瞬間だけを残したなら。

 

そう考えると、ちょっと請求記号を打つのも考えますね。

ひょっとしたら、初めと終わりの数字は、同じものにしてもいいのかな。

 

さて。

 

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映画館でこの場面を観て

 

うわっきしょっ

 

とお思いになった諸君。

お気持ちはわかります。

 (口の中には物語のキーアイテムが入っています。飲み込んだらスーザンにとって一大事) 

 

 

監督の采配ですね。

たしかにマイク少年役のジョン・モルダー=ブラウンは綺麗な子です。主観です完全に。

しかし、どんなに綺麗な子でも、そういう設定がされてなかったらこんなに気持ち悪い景色じゃなかったでしょう。たとえば『ベニスに死す』のタッジオみたいに、あらかじめ「美少年」だったらわりと何やっても見るに耐えたんじゃないかな。

ジョンくんが持つ、人形のようなくせしてどこかぬめっとした、真っ白な肌の質感が、ものすごく効果的な場面でした。

【2017年の記事ですよ】映画音楽とフィギュアスケート。(パソコン推奨)(微妙に訂正あり)(さらに追記あり)(さらに追記)(2020.2月追記)

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(2020.2月追記

 よもや……よもや「夢二のテーマ」で演技をする選手が出てこようとは!

川端和愛選手、2019シーズンのFS!

https://youtu.be/BDA_SXn2zRg

おそらく音源はウォン・カーウァイ花様年華』から「夢二のテーマ」。

もちろん鈴木清順『夢二』が元ネタです。

 

素晴らしい演技ですが、

特に映画の世界観を演出したわけではなさそうなのが

ちょっと惜しい……w)

 

(2019.2.11追記

   昨年の記事がまた上がってきたようで申し訳ありません。

まったく今シーズンのことは書いてありません。

なぜかと言うと、

 

まったく試合を見ることもできず状況も追えず

もうライトなスケヲタですらなくなってしまいました。

ご了承ください。)

小生はライトなスケート好きでもあるのですが、

試合シーズンの週末は仕事してることも多く、

(またその時期は映画祭もハイシーズンなのでウチにいたためしがない)

どうしても諸々チェックが甘いのは否めません。

 

昨晩お酒飲みながらぼけっと昨年末の全日本の動画を眺めていました。

ジュニアの紀平梨花選手が

3アクセル−3トゥループ

さらにトドメの3アクセル

と、

とんでもない難度のジャンプを見事決めた演技を

(まんまと見逃していたので)

ぼんやりと

 

        スゲェェェ

 

と観ていました。

年齢制限で平昌五輪には出られませんが、

このまますくすくと伸びてほしい逸材です。

 

最近3アクセルに挑戦する女子選手が増えてきて見ごたえがありますね。

アメリカでは今年24歳のベテラン(と言ってもいいでしょう)、長洲未来選手も

試合で成功させています

http://www.youtube.com/watch?v=aG3eoo1mY9Q

女子選手のジャンプのピークは10代なかばであり、また長洲選手自身初めてオリンピックに出場したのは16歳の頃。その後結構長いこと「惜しい」位置にいた選手であり、この年齢でこの大技を習得し再び代表に返り咲いたことを考えると、これは特筆するべきことでしょう。

 

信じられないかもしれないけど2015年のワールドで3アクセルを成功させスケヲタを沸かせたロシア選手、マダム・リーザことエリザベータ・トゥクタミシェワ選手はこの頃まだ18歳とかそこらだったんだぜ

http://www.youtube.com/watch?v=Z3SuNQu2u1o

 

フィギュアスケートと音楽は切っても切り離せない関係です。

めっちゃよく使われる、かぶり曲は「禁止曲w」とまで呼ばれます。

あるんですよねー。その年めっちゃかぶる曲。

2014−15のシーズンなんて日本のトップ選手が片っ端から「オペラ座の怪人」を使うといった珍事が。

他国でも使う選手がめちゃ多く、ほっといたら

 

リンクでずっとオペラ座が流れっぱなし

 

というハメに陥りかねない。

 

あとよく使われる曲としては「レ・ミゼラブル」(みんな夢破れすぎだろ試合で)(この件について友達に話したら「羽生に負けた〜♪」と巧みに歌ってくれた)「ロミオとジュリエットフランコ・ゼフィレッリバズ・ラーマンどちらもよく使われていますね)」「「ムーラン・ルージュバズ・ラーマン)」「アーティスト(ミシェル・アザナヴィシウス)」「ミッション(ローランド・ジョフィ)」←ネッラ・ファンタジアという方が馴染みあるかも そして、「アメリジャン=ピエール・ジュネ)」「ラ・ラ・ランドデミアン・チャゼル)」などがとっさに思い浮かびますかな。とっさにですけど。

 いや007を忘れてはいけないのは知ってる

 いやニュー・シネマ・パラダイスも忘れてはいけないことも知ってる

 どんどんドツボにはまります

 

一応映画ブログなんで、映画音楽を優先しております。

『愛と哀しみのボレロ』のラストシーンの「ボレロ」も入れておきたいところではあります

ボレロ」のリンクにどれを埋め込むかによってセンスが表れます

俺だったらこれを選ぶ…とおもたら削除されてた!やっぱりベジャールに怒られたのかしらwww スッゲェ面白かったのに!

 

平昌オリンピック フィギュアスケート男子ショートを観ていて

とんでもないものを忘れていることに気づきました。

 

チャップリン忘れちゃあかんだろ俺のバカバカバカ

 

フェデリコ・フェリーニもよく使われますね。

今年の全日本シングルのメダリストのうち、2人がフェリーニを使っていました。

男子2位の田中刑事選手、そして女子3位の(先述の)紀平梨花選手。

田中選手は「フェデリコ・フェリーニメドレー」として『甘い生活』『カビリアの夜』『アマルコルド』『8 1/2』などをつないで一曲にしています。

http://www.youtube.com/watch?v=z8ZBy_U32EE

 

個人的には衣装は昨シーズンのやつのほうが好み

(現在公式には「アマルコルド」「カビリアの夜」「8 1/2」と記載があるそうです。つべで「甘い生活」きいてみたら自信なくなりました。バイオが正しい。いい加減なブログですみません)

紀平選手は『道』です。最高難度の構成、ご覧ください。

www.youtube.com

 

お?

『道』といえば。

バンクーバー五輪で髙橋大輔選手が銅メダルを獲得したあの演技!

www.youtube.com

http://www.youtube.com/watch?v=s2rwllWVmS8

 

よく見ると、先述の田中選手の曲には、この『道』はありません。

髙橋選手のイメージが強すぎるので避けたのでしょうか。だとしたら正解かも。

 あの後男子選手が『道』を使ってるのを見ると、どうしても比べちゃいましたもん。

 

ここでご紹介した田中選手の演技は、髙橋さんのブラッシュアップを受けたものだそうです。私も全ての試合を見てるわけではないし、あまり細かいところを見る目はないのですが、

 明らかに違う。マヂで違う。語彙力ない。

 

お時間がありましたら、この「フェリーニメドレー」は昨シーズンから使われていますので、動画探してみてください。

 マヂで違います。

 

男子と女子で採点要素が異なるので一概には言えませんが、ひょっとしたらこの曲って、女子には向かないのかなぁ…… と、紀平選手の演技を見て思いました。

 多分髙橋さんのイメージが強すぎるんだわ

 

さて。

最近日本選手のキスクラによく座っているこのイケメンですが。

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(もしこれをお読みのスケヲタの皆様におかれましてはただの一般常識ですが、もしこれをお読みの映画好きの皆様におかれましては初お目見えかもしれませんので、このどっちつかずのスタンスをお許しください)

 

田村岳斗コーチです。

宮原知子選手、紀平梨花選手、本田真凜選手、白岩優奈選手と

日本女子のトップを片っ端から面倒見てるという……

 

現在日本のフィギュア界のキーパーソンと言っても過言ではないこのコーチですが、

なぜお写真をご覧いただいたのかは

 

こちらの動画をご覧ください。

(環境によっては動作しないかも……パソコンからなら観られたのですが)

ceron.jp

nicogame.info

 

最高にくだらない『道』です。

動作に不安があるので2個貼ってしまいました。

ヤマト先生……肋骨折ってまで演るバカプロ……

 

そう、私がこれまで長々とフィギュアスケートと映画音楽について書いてきたのは

この動画を皆様にご覧頂きたかったからでもあるのです。

 

くだんね。

 

このくだんない動画を最後までご覧頂いた皆様におかれましては

ちょっとしたツッコミどころがあるのにお気づきでしょうか。

アナウンサーが

「田村”ジェルソミーナ”岳斗!」

「髙橋”ザンパノ”大輔!」

とコールしているのですが

 

 たぶん大ちゃんはザンパノじゃない。

 「イル・マット」こと綱渡り芸人だ。

 

そんだけ。

 

(追記)埋め込んだ動画もほとんどパソコン対応でした!すみません!

牯嶺街その7…くらい?(新たなる謎が…)

やー、すごいロングランになってきましたね、『牯嶺街少年殺人事件』。

年明けアップリンクと思ったら、下旬は都写真美術館ですってよ奥さん!

ほぼ1年のロングラン!

私も久々にアップリンクで観てきました。

 

私はあまり大画面だと情報の処理が追いつかないのでなかなか入り込めないんだけど、

あれくらいのスクリーンの大きさならいいね。

座席45席、150インチ…今知った。

 

諸々記憶違いとかを修正しながら改めて。

 

この作品は少年視点から語られることが多い「童貞映画」ですが、「少女の自意識」にも目を向けるべきでしょう。

小明の「私はたくさんの男に追われる、けど何かあると皆逃げていく」的なセリフがありました。

 

これ、そうなのかなぁ?

たしかに彼女は魅力的です。中学生男子には注目の的でしょう。色白ふかふか。

 

私がどーでもいいこと気になったのは、小明が小虎(彼もまた小明が気になってる…)とバスケして怪我をして、保健室で手当てを受ける場面。

 

          スカート上げすぎじゃね?w

 

膝に手当てをするのに真っ白い腿の上までスカートたくし上げているんです。とんだチラリズム

 

のちに小明は度々保健室の先生のお世話になりますが、「先生にも追われてる」的なことを言います。(この先生、『恐怖分子』でも医者ででてますよね?こっちではやさしくて人格者に見えます。温厚メガネ男子。)

へぇ先生にまで…と思って観ていると、

 

先生、美人の婚約者いるでねぇの。(ツァイ・ミンリャン作品でおなじみシァンチーがちらっと!)

それを見た小明は「あの人なんか違う」と言って意味深に「言わないわよ」とにやり。

 f:id:ohirunemorphine:20180113055407j:image

ここ、なにがあったのかぼかされているし、実際にはなにもなかったのかもしれません。あちこちから好意を向けられる女の子は、「自分が魅力的に見える角度を知っており」タマゴが先か鶏が先か「これでみんなチョロい」みたいなナメたところがありそうです。

彼女の裏の顔を知った小四が「あれが自然に見えるなら監督なに見てんだよ」と怒鳴るところがあります。

 

… そこで「僕が君を変える」なんてタワケに至るところが甘ちゃんなところですが…

 

小明の心にいるのは「あんなに誠実な人はいない」というハニーひとり。

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ハニーは「世界を変えたい」しかし小明は「世界は変わらない。私も変えられない」と、オトコを釣ってしたたかに生きている少女。過剰な自意識もやむを得ない生き方です。お母さん病弱だし(悲しき大黒柱)。

修羅場をくぐってきてる2人に対し、小四はどうしても甘い。そこで、小明にふさわしい男になろうとするのか、だんだん彼は暴力的な振る舞いを見せるようになります。おそらく彼は「ハニーになりたい」のでしょう。街いちばんの不良として知られたハニー。僕がこれからハニーだ。

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           無理だよ気づけ

 

僕が君の希望だ、とどんだけのぼせ上がっているのか。いやしかしここで冷静になってしまっては「純粋少年」の良さがなくなっちゃうわかります。

ハニーを失い、虚無の心の小明には希望なんてどうでもいいのでしょう。小四ではハニーの代わりになり得ません。希望なんて!

痛いところを突かれると突き返すのが熱情。物理的にですが。刃傷沙汰になりましたが。

 

錯乱した小四は「僕のものだ!」と叫びますが、あれまぢで心身喪失じゃないかね。空っぽになった「究極の、概念としての小明」をやっと手に入れた、というハッピーエンド(周囲も死屍累々)だったんじゃないかね。不在の在、というものを考えさせられます。

 

ラストカットがまた「不在の在」を感じさせて泣ける… そこには小四ももういないのです…

 

まぁこの作品は微に入り細を穿つほど混乱してくるのですが、どうしても不可解な小道具がありまして。

 

小猫王の部屋にあった本だったでしゃうか?挟んであった女の子の写真を、小四は盗みます。

それから幾度となく小四はその写真を眺めるのですが、そこに写っているのは

 

セーラー服を着た保健室の先生の婚約者(つまりシァンチー)に見えるのですが??

どーゆーことだ?

 

ちくしょうまだ謎はとけないぜ。

 

(追記)写真で一瞬顔を出すパターンって意外と多いと思うんだけど、フランソワ・オゾン8人の女たち』でそういう感じでロミー・シュナイダーが出てきたことがあったなぁ、9人目の女…と思ったら、内田けんじ鍵泥棒のメソッド』でたった0.01秒の写真出演で「げふwwwムロツヨシw」てな強烈な存在感残したパターンもあるなぁ、よく気づいたなぁオレ、クレジット見てガッツポーズしたよ… 余談。それだけ写真出演には意味があるとおもってるってことです。げふ。

 

(追記)14歳のチャン・チェンに、

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お父さんを足して2で割ると

 

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こうなります。

眉間のあたりそっくり

  

ベストテンを出していたら一本の映画について語っていた。

年末なので今年のベスト映画を出してみたの。

今年観た映画はかなりの数の旧作と、

劇場公開すらされるのかわからない新作がほとんど。

基準難しいよね。

旧作がまたかかるってことは「いい映画」だからってのもあるので、今回省きました。

 

じゃん。順不同で

 

ブラインド・マッサージ
ホームレス ニューヨークと寝た男
お嬢さん
ムーンライト
ベイビー・ドライバー
日曜日の散歩者
イスマエルの亡霊たち
ジョニーは行方不明
星空
52㎐のラヴソング

 

日本映画はほとんど観ていないのと、名画座で黄金時代の邦画観ちゃうと、

やっぱり貧しいんだよね…悲しいことに。

その中で気を吐いてたのは


仁光の受難
アイスと雨音
南瓜とマヨネーズ
バンコクナイツ

 

そもそも観てるものが偏ってる自覚はある。

でも

 

なんでこれがベストに入ってるの??

 

ってわれながらおもうのもあるよ。

 

特に

『ホームレス ニューヨークと寝た男』

 

これ私にはすごく刺さったんだけど、ベスト級かと言われるとそんなことはないと思う。

けど、ツボってこういうこと。

これある意味落語に通じるのよ。

ドキュメンタリーは落語と並んだ!

 

落語にはいい歳こいてどうやって暮らしてるのか聞いちゃいけないような与太郎がしばしばあらわれる。

「ど貧乏の生活の知恵」が聴く人の爆笑を誘う。

ダメな状況を笑い飛ばすってつよいんだ。

 

『ホームレス』。マーク・レイ。映画製作時には50代半ば。

パッと見オシャレなナイスミドル。自称フォトグラファー、モデル、俳優。

しかしその実態は、どちらもまともに仕事がなくて友達のアパートの屋上でホームレス生活。

そのサバイバルぶりは「都会のキャンパー」と言っても過言じゃない。

 

しかし普通に考えてみよう。

この歳にして「持ってない」なにひとつ。

仕事、家族、恋人、住む部屋。

しかし本人は「僕は写真家、モデル、俳優」と言い切る。

 

えええええ

信用しねぇよ!

 

彼の凄いところはそれでも毎日毎日屋上からご出勤して1日お外ですごし、ダラダラすることがない。

だって「おれ仕事してるし」。

すげぇポジティブ!

 

なのかどうかは知らないよ。

 

かつては一流ファッション誌にも出てた。ショーにも出てた。モデル嘘ではない。

映画にも出てる。(エキストラだけど。)

写真だって撮ってる(ほとんどその辺の人に声かけて撮らせてもらってるだけ)

よくよく考えると、

このナイスなおっさん、何者でもないじゃん!

 

なんでこの人の生き方にこんなに共感と情けなさを同時に感じるのか直視するのが痛い。

けどがんばる。

 

私は昔、とある仕事をしていた。ちゃんと働いていたよ。

けど、その仕事の仕組みに嫌気がさして(年々給料が下がるのにも嫌気がさして…最低賃金が当たり前ってどーゆーことだ)辞めた。

けど今もそちら方面は気になって『エクス・リブリス 』をわざわざ山形まで観に行って、レビューを(頼まれてもいないし読んでくれる人もいないのに)書いた。意識はまだそちらの人なんだ。現場から離れて長いし、もうたぶん戻れないのに。

 

その後なぜか変な仕事に拾われてしまった。実力に加え愛嬌とずうずうしさが欠かせない仕事だ。どれひとつ私にはなかった。あったといえば「何十年か磨けばモノになるかもしれないし磨耗してなくなるかもしれない」程度の素材だった。

1年半後、とある事情で辞めざるを得なかった。けどその後しばらくそちらで食っていこうと頑張ってみた。

無理だとわかって辞めた。コミュ障がバレたのだ。

 

色々前後のこともあり、4年くらい「何者でもなく」過ごしている。

なにしてる人、という意識が持てないので自己紹介のある場は非常につらい。そういうところから逃げ続ける生活である。

 

が、マーク・レイ氏は意図的にか芯からポジティブなのか知らないが、かつて自分がやってきたことを、あたかも「今もそれでやっていけてるように」振舞って憚ることがない。

 

ニューヨークという弱肉強食の街で、彼が生きていくために身につけた知恵が「ハッタリ」なんだとしたら、それは身を守る殻だ。

しかし、身を守るため、と同じくらい重要な意味がある。それは

 

食っていく手段がイコール「その人のアイデンティティ」ではない

 

落語にもそういう噺はあるんだ。

仕事はないけど、おれは噺家だ という矜持が身を救う。

現実世界では矜持なんて腹の足しにもならないけど、

「自分はこれだ」と思えばこれなんじゃないか。

そう考えると私も救われるんだよ。

 

それには他人の目を気にしないところと気にするべきところを区別しなきゃならない。

モサくてコキタナいモデルや俳優なんていますかね?

マーク・レイさん、そこにはものすごく気を使ってる。家はなくてもそのために必要なのがどこなのかちゃんと知ってる。

トレーニングジムと公衆トイレ!強力なインフラだ。

 

側から見たら痛いおっさんなのかもしれない、てーかどう見ても痛いおっさんだよ。

自分に引き比べて見てしまう。私も痛いおばさんだ。うん、知ってる。

道を外れちゃった人に風当たりは優しくないよ。

日常の話して笑いをとれるなんてそれこそ落語だ。しかし笑ってくれる人は「他人事」として笑ってくださる。あまり生々しく話すとドン引きだ。私だって線の引きどころはわきまえてる。

しかし時々心の中の中学二年生童貞が大爆発して引かれる

 

映画の中のマークさんは、どこか無理をしてるような強気さだ。

ニューヨークで何者でもなく生きるのは実際どんな感じ?若ければイーストヴィレッジのボヘミアン気取れるかも。けど……

しかし彼はめっちゃ愛嬌がある。友達もいる。一夜の恋にも事欠かない。助けてくれる人はいるのだ。大事。

 

さてどうするか。

私は身近に親しい友達はいない。年何回か連絡取り合う人ならちょっとは。

住む場所はある私は、そこがちょっとマークさんとちがう。孤独といえば孤独。

けど、「何者にも今さらなれそうもない」現実をサバイバルして無事に死ぬためには、与太郎の知恵とマークさんの知恵を積極的にお借りしていきたいと思うのだ。

 

マークさんはもう50代後半か。

どうなさっているのだろう。

無名の賢人のドキュメンタリーが私の心に爪痕残した理由についてお話しした回でした。

 

『ホームレス ニューヨークと寝た男』

www.youtube.com

2014 / オーストリア・アメリカ / 83分

監督 トーマス・ヴィルテンゾーン

出演 マーク・レイ

音楽 カイル・イーストウッド マット・マクガイア