危ない男。(追記しました)
少し前からの話をいたしますと、
6月後半から、空梅雨から台風といきなりの猛暑、
朝4時起き7時半出勤という個人的サマータイム、
そして続く猛暑による夏バテが抜けないまま、
今に至っております。
やっと食べられるようになってきました。
やっとパソコンに向かう余裕が取れるようになってきました。
ちゃんとした映画の話でもしたいところですが、
ものすごく身のない話でここはお茶を濁しておこうかと思います。
まぁ、リハビリみたいなもんだよね。
今までちゃんとした映画の話なんて書いたことがないのは無視してほしい
を観てきたんですよ。
歌舞伎は年何回か観る程度には観ていますが、文楽は初めて。
この演目は、歌舞伎でも夏になるとかかる有名なものです。
しかし、歌舞伎ってその作品の美味しいところだけをかけることがほとんどなので、
ここまでしっかりその物語を語られたのは初めてでした。
本筋ではないので、あんまり詳しくは書かないでおこうと思いますが、
歌舞伎では、団七徳兵衛の義兄弟の契りや、自らの顔を焼いてまで筋を通そうとする徳兵衛妻お辰、そして団七が義父である義兵次を殺す凄惨な場面が見せ場であります。
この文楽公演では、普段歌舞伎で上演されない部分も合わせてみせることによって、
物語が「ひとりの人物」によって進んでいくことが示されるんです。
玉島磯之丞。
歌舞伎での出番はごく少ない、ええしの頼りないボンです。
女ったらしで、つっとつつけばすぐ転ぶような、どうしようもないボンです。
しかし、物語ではこの人物をめぐって、俠気と女の意地と、義理となんとかが絡み合う、壮大なストーリーが語られるのです。
はて、終始このダメ男をめぐって、いきの張り合いがなされるこの話。
なんでまた、こんなしょうもない男のために?わっけわかんないよ。
(いやこの話には義理やお金も絡んでいるのでまぁわからんでもござんせんが)
しかし。私は認めざるをえません。
人間、ダメな子を見ると守ってあげたくなります。
ダメな子がいい男であれば益々です。
ごめんなさい個人的な主観です完全に
私、ダメ男はあかん、嫌い、ヤダ、とずっと言い続けてきたんです。
すみません、選べるような立場ではございませんのでイヤもヘチマもありませんが。
しかし。
あー好きです、と無条件に言ってしまう映画のキャラクターって結構ダメダメの極みだったりしますよね。
『ブエノスアイレス』のレスリー・チャンなんて絶対お近づきになりたくない。
しかし……(この3点リーダーに込められた気持ちを140字で述べよ。句読点は含む。)
寂れた競馬場でギャーギャー喚くレスリーの場面が大好きだったりするんだけど、画像が見つからなかったので各々脳内でお願いします
クリストフ・オノレ『美しいひと』のルイ・ガレルの「たらし」っぷりと、その後のモタモタの魅力を端的に答えよ。
答・美しい。頭が悪い答えですまん。
でもだいたいこれまでのルイ・ガレルの役どころってどうしようもない破滅的なものが多い感じがするよね。死ぬ確率と言ったら俺の中ではいとしのブシェミたんとタメ張るレベル。
そこから一気に『グッバイ・ゴダール』……膝がかっくんしました。おい!気でも違ったか!
マチュー・アマルリックの『愛の犯罪者』では「食おうとして全力で食われにかかってる」小動物的なプルプル感がどうにも愛おしくてたまらんのですが
胸焼けしてきたので本丸に行こう
じゃぁ本丸。
個人的に「やばい」「しぬ」と思わせるのが
殺されてもいいですか
不幸にして私はあんまり昔の日本映画を観ていません。
お恥ずかしながら神保町の名画座は敷居が高くて、
通い始めたのはごく最近のことです。不規則な仕事には優しくないんだよあそこ。
そこで見た「浮雲」に完全にノックアウトされました。しぬ。だめ。やばい。
奥さんがいながら高峰秀子さまと岡田茉莉子さまのはざまをフーラフーラと。
そこに愛なんてあるようでない。たぶん全然ない。
身勝手で、わがままで、甲斐性がなくて、しぶとくて。
我が身だけがかわいくて。
奥さんが亡くなったときなんて葬式の費用をオンナに無心してケロっとしてて。
本気でダメじゃん
伊香保の温泉街、わりと私はひとりでぶらっと行ったりしてたんだけど、
あー見るとダメだね、
温泉街って本気で色恋沙汰が似合うね
そっか、
こういう時、人は理性を吹っ飛ばすんだ
品が良くて、やさぐれてて、ほっとけなくて。
まぁ考えてみたら「つっころばし」って、ええしのボンで、教養は高く家柄は良かったりするんだ。
森雅之なんてお父さんは有島武郎、お母さんは男爵家、学校は京大まで行っとる。色恋沙汰と教養にまみれた生い立ちであることよ!
まぁ見た目からして女と入水でもしそうではありますが、そっちはお父さんがかなり悲惨な状態で発見されたということで。
もっとも、女の出入りは激しかったようではございますな。まぁ納得ではあります。これでストイックだったら私は色々疑うわい。
『安城家の舞踏会』『白痴』をまだ観ることが叶っていないのはむしろ幸運なんじゃないだろうか。
多分やられるから。
さて、
現在神保町で、かつての乙女たちの腰を全力で砕きにかかっているという『白い悪魔』(1958)。
あそこは休日には朝の早いご老人で早々に埋まってしまうのでなかなか油断ができないのですが、
なんとか、なんっとか、仕事終わりに這ってでも行きたいと考えております。
私のうちは環境が貧弱で、
古い映画は名画座ででも掛からないと行かないからね。
普段ゴキキャップに囲まれて全力で虫がつかないような状態なんだから
スクリーンの中だけでもあかんドキドキをしたいっすよ。
()… と、言うわけで、行ってきました『白い悪魔』。
かつての乙女や現在の乙女もっといるかと思ったらそうでもなかった
よくよく見るとスタッフがめっちゃ豪華!古い日本映画に詳しい人ならいくらでも語れるんじゃないでしょうか?
さて。
わたしが「あーこのオトコ、ダメ」と思う理由って「煮え切らなさ」なんだなぁぁ、としみじみ思ったのですが、それは私が割り切りが早い、というか「ここで割り切っとかなきゃあとがつらい」という、名残惜しくも損切りを心掛けて日々暮らしているせいかもしれず、
竹を割ったようでいて実は「質のよくない割り箸を割ったような」性質だからかもしれません。
「白い悪魔」野添ひとみ演じるアサコちゃんは無邪気でワガママで向こう見ずで、自覚が全くありませんが、
「パパのお嫁さんになる!」
というムチャクチャな願望を隠そうともしていません。
小悪魔です。
しかもその行動は次第に小悪魔通り越して
大悪魔
と変化していくのです。こわっ。やばっ。可愛いで済まされんヤバさです。
対して森雅之「パパ」は
その煮え切らなさゆえ初恋の人を不幸に陥れたという負い目を長年背負い続け、
その娘であるアサコちゃんを引き取ります。
もうこの時点でインモラル感満載じゃないですか。
ちょっとまて。
おもちゃ屋で駄々こねられるような無邪気な波状攻撃に、オトナの理性(というか煮え切らなさ)はどんどん磨耗していきます。
そして… 周囲を敵に回しても…
ぐはぁぁぁ
ニンゲン、自分にないものに魅力を感じるのだとしたら、
この煮え切らなさと懊悩の色気なんじゃないのかなぁと思います。
それをやらせたら天下一品のモリマ。
晩年の作品『カモとねぎ』での意外なコメディアンぶりではもっと軽やかで、自己パロディの余裕すら感じましたが、
やはりこの人は真っ当じゃない感情の陰影がよく似合うなぁぁぁ…
と思いましたよ。
実生活じゃぜってぇお近づきになりたくねぇけどな(こっちが壊れる)