牯嶺街その7…くらい?(新たなる謎が…)
やー、すごいロングランになってきましたね、『牯嶺街少年殺人事件』。
年明けアップリンクと思ったら、下旬は都写真美術館ですってよ奥さん!
ほぼ1年のロングラン!
私も久々にアップリンクで観てきました。
私はあまり大画面だと情報の処理が追いつかないのでなかなか入り込めないんだけど、
あれくらいのスクリーンの大きさならいいね。
座席45席、150インチ…今知った。
諸々記憶違いとかを修正しながら改めて。
この作品は少年視点から語られることが多い「童貞映画」ですが、「少女の自意識」にも目を向けるべきでしょう。
小明の「私はたくさんの男に追われる、けど何かあると皆逃げていく」的なセリフがありました。
これ、そうなのかなぁ?
たしかに彼女は魅力的です。中学生男子には注目の的でしょう。色白ふかふか。
私がどーでもいいこと気になったのは、小明が小虎(彼もまた小明が気になってる…)とバスケして怪我をして、保健室で手当てを受ける場面。
スカート上げすぎじゃね?w
膝に手当てをするのに真っ白い腿の上までスカートたくし上げているんです。とんだチラリズム!
のちに小明は度々保健室の先生のお世話になりますが、「先生にも追われてる」的なことを言います。(この先生、『恐怖分子』でも医者ででてますよね?こっちではやさしくて人格者に見えます。温厚メガネ男子。)
へぇ先生にまで…と思って観ていると、
先生、美人の婚約者いるでねぇの。(ツァイ・ミンリャン作品でおなじみシァンチーがちらっと!)
それを見た小明は「あの人なんか違う」と言って意味深に「言わないわよ」とにやり。
ここ、なにがあったのかぼかされているし、実際にはなにもなかったのかもしれません。あちこちから好意を向けられる女の子は、「自分が魅力的に見える角度を知っており」タマゴが先か鶏が先か「これでみんなチョロい」みたいなナメたところがありそうです。
彼女の裏の顔を知った小四が「あれが自然に見えるなら監督なに見てんだよ」と怒鳴るところがあります。
… そこで「僕が君を変える」なんてタワケに至るところが甘ちゃんなところですが…
小明の心にいるのは「あんなに誠実な人はいない」というハニーひとり。
ハニーは「世界を変えたい」しかし小明は「世界は変わらない。私も変えられない」と、オトコを釣ってしたたかに生きている少女。過剰な自意識もやむを得ない生き方です。お母さん病弱だし(悲しき大黒柱)。
修羅場をくぐってきてる2人に対し、小四はどうしても甘い。そこで、小明にふさわしい男になろうとするのか、だんだん彼は暴力的な振る舞いを見せるようになります。おそらく彼は「ハニーになりたい」のでしょう。街いちばんの不良として知られたハニー。僕がこれからハニーだ。
無理だよ気づけ
僕が君の希望だ、とどんだけのぼせ上がっているのか。いやしかしここで冷静になってしまっては「純粋少年」の良さがなくなっちゃうわかります。
ハニーを失い、虚無の心の小明には希望なんてどうでもいいのでしょう。小四ではハニーの代わりになり得ません。希望なんて!
痛いところを突かれると突き返すのが熱情。物理的にですが。刃傷沙汰になりましたが。
錯乱した小四は「僕のものだ!」と叫びますが、あれまぢで心身喪失じゃないかね。空っぽになった「究極の、概念としての小明」をやっと手に入れた、というハッピーエンド(周囲も死屍累々)だったんじゃないかね。不在の在、というものを考えさせられます。
ラストカットがまた「不在の在」を感じさせて泣ける… そこには小四ももういないのです…
まぁこの作品は微に入り細を穿つほど混乱してくるのですが、どうしても不可解な小道具がありまして。
小猫王の部屋にあった本だったでしゃうか?挟んであった女の子の写真を、小四は盗みます。
それから幾度となく小四はその写真を眺めるのですが、そこに写っているのは
セーラー服を着た保健室の先生の婚約者(つまりシァンチー)に見えるのですが??
どーゆーことだ?
ちくしょうまだ謎はとけないぜ。
(追記)写真で一瞬顔を出すパターンって意外と多いと思うんだけど、フランソワ・オゾン『8人の女たち』でそういう感じでロミー・シュナイダーが出てきたことがあったなぁ、9人目の女…と思ったら、内田けんじ『鍵泥棒のメソッド』でたった0.01秒の写真出演で「げふwwwムロツヨシw」てな強烈な存在感残したパターンもあるなぁ、よく気づいたなぁオレ、クレジット見てガッツポーズしたよ… 余談。それだけ写真出演には意味があるとおもってるってことです。げふ。
(追記)14歳のチャン・チェンに、
お父さんを足して2で割ると
こうなります。
眉間のあたりそっくり…