これでシメにしたい『牯嶺街少年殺人事件』その5(シマるのか? )
まぁ続きを書くのにあれこれ考えているうちに
こんな本が出版されていました。
未読ですが、こんな凄そうなのが出てしまったら、こんなど素人が今更あれこれ語るのもおこがましく、また何を語っても浅い代物になりそうなので、今回はあくまでも「私が見てきた牯嶺街少年殺人事件にまつわる諸々」であるということを明確にしておきたいと思います。
まぁそんなこと言ったら全ての映画について語りえず沈黙するしかないわけなのですが。おっ。哲学的な名言を引用するとちょっと頭いい人っぽく誤解してもらえそうじゃん? (ばか)(趣旨が違うわ)
東京国際映画祭、『牯嶺街少年殺人事件』の上映は、まんまと裏でクロージングセレモニー(=受賞作品発表)が行われるという取材パス所持者泣かせの番組編成でした。何を考えているんだ、と一瞬思ったことでありますよ。途中から入れるのか、と聞いたら「ダメ」だってさ!
まぁヒルズのどっかで中継見られるだろ、ともはや虚無の目であります。
というわけで最前列、そそり立つ銀幕を前に、ほぼ斜め真上を見ながら過ごした4時間ではありますが、
まず画面の明暗が激しく、登場人物が多く、そして登場人物がいろんな二つ名を持っているために
誰が誰を指しているのかよくわからない。
しかしその画面の、これまた垂直水平がくっきりした構築的な画面と、少年少女の火花も散りそうな一触即発の緊迫した空気、そして一人の幼いファム・ファタル、プレスリーにジョン・ウェイン、いちいちアップで抜かれるコンバースなどアメリカ文化の影響、見づらい画面でも相当控えめに言って
こりゃすごいわ……
お昼挟んで4時間ぶっ続け、途中から場内が
ぐー
ぐー
ぐー……
と、もう生理的に各々の人体が空腹を訴えるのをなだめすかす、そして、君は一人じゃない、ほら、僕の胃袋も空っぽだ、という妙な連帯感も生まれたことでしたよ。お腹が鳴るのは別に恥ずかしいことじゃないよね!
これは劇場公開を待つしかないよね、しっかり見るしかないよね、と決めたことでありました。
それからしばらくして。
新しいメインビジュアルのお披露目がありました。
「この世界は僕が照らしてみせる。」
……語り得ないことに対して沈黙しなければならない時もありますが、語ってはいけないことに対しても沈黙した方がいいこともあるでしょう。
しかし私はあえて言いたい。
ダセェコピーつけんなよ。
そんなセリフあったかなぁ、と思って何度思い返しても、そんなセリフなかったような気がするんです。
なんでポスターには無理やりコピーをつけなくてはいけないのでしょうか。てーかオリジナルのポスターを流用しちゃダメ? これも権利の問題? けど前売りの特典はオリジナルビジュアルのクリアファイルだったよ?
前売り? 買ったよ!
前売りを買ったのはまぁ「オリジナルビジュアルのおまけがついてくる」というのも大きかったんですけど、
どこの劇場でも一律2200円一切の割引なし
という超強気の価格設定だったから、ってのもあります。
(でも確か『ルートヴィヒ デジタル修復版』の上映の時もそんな感じだったような。デジタルリマスターはひょっとしたら3Dとか4DX並みに「付加価値を料金としてつけられる」コンテンツになってきているのかもしれません)
そうこうしているうちに上映が近づいてきました。そんなときに飛び込んできた
主演・張震 舞台挨拶決定!!!
中華圏のエンタメに異様に詳しい知人と
「ぜってぇ行きたい」「でも前売り買っちまったよ」「そりゃおかわりするでしょ丼何杯でもいける」「争奪戦参戦する?」
とモニャモニャ深夜にご相談。そして
「共闘しようぜ!」
かくして見事に該当回のチケットをゲットした我々二人。主に引きが強い知人の功績であります。ありがとうありがとう!!
「やべぇ震えてきた」「サインもらえないかな」「ここでは無理そうだね」「でも絶対年内にまた日本に来そうな気がする」「その時は是非」とまるっきり乙女な会話をしておりました。
(張震氏はこの2月にベルリン国際映画祭に出品された日本人監督作の主演をなさっていたので来る機会はあるんじゃないかと思っています。知らんけど。なんかそんな気がするだけだけど。
そう、この12月の公開が決まり、その前に今年の東京国際映画祭で特別上映される SABU監督『Mr.Long / ミスター・ロン』です! …あ。またtiffかよ。…チケットまた争奪戦必至だな…)
そして
キターーーーー!!シャオスー!!!
顔ちっちゃ!足なっが!ほっそ!なにこの超イケメン!
(撮影・おれ。ぼけぼけぶれぶれなのは携帯品質! カメラ持ってきゃよかった!)
なんかさぁ、子どもの頃からの等身バランスが全然変わってないんじゃないかっていうとんだモデル体型だったよ。映画の中では中学のカーキ色の制服を腰高気味にベルト締めて着てるんだけど、体の半分が脚だよ! そのまんまの比率で大きくなった感じだよ!
はぁはぁ。私は一体何にコーフンしているのでしょうか。
きっちり正面で観た『牯嶺街少年殺人事件』。
強いコントラストと直線的な画面構成、その中を駆け回る群衆(子どもたちだけど)に、ベルトルッチの『暗殺の森』を思い出したのは私だけでしょうか? 不勉強にしてエドワード・ヤンがベルトルッチに影響を受けているかどうかは知りません。知らないままにしておこうかと思います。思っているのは私だけ。
そして、この物語は台湾本省人と外省人の対立で不安定な社会の物語です。主な登場人物は大陸から渡ってきた外省人。その中でも格差があることがはっきりと示されます。
若者たちは徒党を組み、一触即発。一人の少女をめぐって殺し合いまで起きているようです……
対立するグループのリーダーの女である二人の少女(本作のヒロイン、シャオミンと、「クレージー」と呼ばれるちょっと年上っぽいイイ女)。シャオミンは喘息持ちの母と共にあちこちを転々とする生活。一時身を寄せた集落(眷村、と言うらしいですね)の水場で二人は顔を合わせます。
歯ブラシをくわえていても迫力満点のクレージー。敵対関係にあるグループのリーダーの女である二人。クレージーはシャオミンに一瞬難癖をつけます……しかしそして二人は肩を抱き合います。
シャオミンはあちこちを転々とする生活ですっかりすれっからしになってしまったのでしょう。見かけはふわふわ真っ白ですが。消息の知れない男を待ちながら、とりあえず流し目を送れば男が釣れてくる、それが食扶持になる、そんなすれっからし。女同士、わかりみあるしんどさが通じるでしょうね。この水場での一瞬の友情が、のちに刃で切り裂かれます。
すべてが直線的に傷つけ合う世界で、ひとり輪郭がはっきりしない、薄明かりを放つような少女。
その白い光は まるで さまざまな色の光、けっして綺麗な色ばかりではない光をすべて吸い込み、放たれているかのようです。光の三原色ってありますよね?あれ、例えるなら。
「私のことは変えられない、この世界が変わらないように」この諦念に満ちたセリフに基づいて、ポスターのコピーが設定されたのでしょうが、これはどうかと思いました。
シャオスーは「世界を変えたい」というより「君には僕が必要だ」という根拠のないのぼせ上がりーー恋ゆえの、恋しちゃあかんタイプの女への恋ゆえのーーそして「君を変えたい」という心境に至るのですから。それに応えたのが、さっきのセリフです。
シャオミンのオトコ、ハニーの登場シーンは「どこのヤンキー漫画だよ」というような仰々しさ満点でしたが、彼のどこかアメリカ人を思わせる風貌も相まって妙に強力な背景を感じさせました。お前は何故海軍セーラー服を着ているのだ! という突っ込みすら忘れる佇まい。シャオミンのオトコはただ一人、ハニーだけ。その思いを心に沈め、方々からちょっかいを出されるのをいなす毎日。そりゃ虚無の目にもなりますわ。
ハニーのセリフはエドワード・ヤン監督が吹き替えているんだそうで、若いのにずいぶん達観した役だからでしょうかね。
また、この作品におけるアメリカの影響は観る人全てが指摘するところですが、先ほど一瞬触れましたが、登場する子どもたちもどこかジェームス・ディーンっぽい子が多い。台湾って多民族だから、そういう子も珍しくないんでしょうか。それともあえてキャスティングしたんでしょうか。ちょっと興味深いところです。(でも外省人の軍人の子ども、ってことは大陸軍人の子ですよね、全然アメリカっぽい要素ない。洋風の顔立ちはたまたまでしょうか。)
この作品は複雑すぎて、一貫した思いをきちんと文章にできないのがもどかしいところであり、私の力不足を感じるところでもあります。
けど、間違いなく控えめに言って傑作、この際語彙力のなさをさらけ出しますが、奇跡の一本と言わせてもらおうかな、と思います。シンプル・イズ・ザ・ベスト。
この映画という広い海で出逢えた奇跡にマジ感謝
という頭の悪そうなシメ! うわー我ながら馬鹿っぽい! 自分で書いて馬鹿っぽさがラーメンの脂みたいに浮いてきてるわ! 煮えてる! お前煮えてるだろ!
じゃぁ頭の悪そうな感想をもう一個述べとくね。
『牯嶺街』のリサ・ヤンとか、
『ブラインド・マッサージ』の、カップルで転がり込んできたマッサージ師チャン・レイとか、
ふくふく真っ白で柔らかそうな女の子ってたまらなくエロいよね!!!
もう触りたくなるよね!!ツツーッてやりたくなるよね!!
頭が悪そうというよりもはや変質者同然だが文句あるか。
先に謝っておく。すみません。