(話を元に戻して)恐怖分子から牯嶺街へ。その3(また余談だよすまないね)
途中で全然違う話を挟んでしまったのでどこまで話したっけかな状態です。
8月はクッソ忙しくてストレス溜まり放題で
ない暇ができたときには缶チューハイかっ喰らいクスリ飲んで寝るという
いつお迎えが来るかわからない状態でありました。
よく訓練された立派な肝臓の持ち主であるせいか
毎晩死ぬように倒れ、毎朝恥ずかしながら生還してまいりました。
いや私のことはどうでもいいんだ。
どこまで話したっけかな。
『牯嶺街少年殺人事件』がめでたく日の目を見るまでの
あたかもセミの幼虫が地下深く潜っていたような時代のお話です。
『牯嶺街少年殺人事件』公開までのことについては、
2015年に久々に公開された『恐怖分子』(1986)にも触れなければならないでしょう。
この作品は1996年に劇場公開されましたが、東京での公開はセゾン系列のスタジオ200、ということは小規模の公開だったのではないかしら。知らんけど。当時のキネ旬の4月から7月分を確認しておくべきだったかもしれません。
しかもソフトはレーザーディスクのみのリリースだったそうです。これもまた埋もれてしまいそうになっていた作品なのかもしれません。
しかし。幸いにして、この作品は再び私たちの前にその姿(?)を現しました。
私は震えました。
ここまで鋭く、痛みすら感じさせるほど鋭く、美しい映画があっていいのか。
「煙が目にしみる」をまるまる一曲使って、一組の母娘のわずかな平安と一組のカップルの修羅場を同時に見せる、そのシーンのなんという素晴らしさ。語彙力帰ってきてくれ。そんなものははじめからない諦めろ!涙が出るのは煙が目にしみるせいだぜ!
この映画はまんま現代芸術に通じると思います。もしくは一流のフォトグラファーの連作。一場面一場面ごとに恐ろしいほどに構図が計算され尽くしている。矩型の多用(角と水平垂直の正確さ)と陰影の深さ、そして画面の温度。温度が低そうな画面の中に暖かな光を感じるシーン(ネタバレ回避。てーかCMにバッチリおさまっているわな)。
なにかが動き(風に吹かれる写真)切り取られる静止画(青年が撮る写真)その対比。すべてが完璧すぎて。
そして、もちろんストーリーも難解ではあるが、台北で平凡に暮らす人々、不良集団、カメラマン志望の青年、何の関わりもない人々が巧みに絡み合っていくスリル満載の構成。
なんという大傑作を見てしまったのでしょうか。
私はすっかり虜になってしまいました。
『カップルズ』『恋愛時代』をチンケなブラウン管でうすらぼんやり漫然と観ていたあの頃の俺に便所スリッパで一撃食らわせてやりたい。ちゃんと観ろよ!正座して観ろよ!
そんなエドワード・ヤンショックとでも申しましょうか、
吹っ飛ぶほどの衝撃を受けたこのちっとも映画に詳しくないバカですが、
まぁ10年ほど前のドリパス騒動(過去記事をご参照ください)で
ohirunemorphine.hatenablog.com
エドワード・ヤンにはまだ隠されたお宝があるらしい!ということは知っていたので
ますます
死ぬ前には観てぇ
と思うようになったのでありました。
その思いはさらに2年後、
「上映します!」とぶち上げたことにより
急激な展開を見せることになるのですが……
つづく。
いくらなんでもマクラ長ぇよなぁスミマセン!