映画について私が全然知らないいろいろな事柄

@ohirunemorphine が、だらだらと映画についてあれこれ考えます。

もうあえないかもしれないと思っていたあれこれ。

「伝説の映画」。なんと心トキメク響きであることよ。
映画を観るということそのものが「そのとき限りの経験」であるならば、すべての映画は文字通りいっときのゆめまぼろしなのである。それぞれヒトのココロのなかにはそれぞれの「伝説の映画」があることであろ。
しかし同時に映画は「記録媒体」であり、反復性を併せ持つものでもある。例えばそれは映写室の中で掛け替えられるフィルムのでかい缶であり、またはデジタル素材(これはどんなものなのか想像できん。まさか日常よくお見かけする虹色の鍋敷きみたいなもんではあるまい)である。一方でいちど限りの記憶、一方で繰り返しガシャガシャ毎日銀幕に映されるもの、げに映画というものは不思議である。

おそらくその昔は映画を観るという行為は一期一会のものだったのだろう。
ロードショーから二番館まではありえても、まさかその後磁気テープやら円盤やらでお手軽に借りたり、うっかり所有できたりするなんて考えられなかっただろう。

さて、しばし鬱陶しいことを考えたが、それは昨今のデジタルリマスターブームで古の名作やら佳作やらがバンバンと劇場の銀幕にかかりまくり、当時の若者(当然今は白髪のシニアだったりする)また当時に間に合わなかった若者(相対的にみて)やらから存分に金を巻き上げる昨今にプンスカしつつ、一方でプンスカの一方で財布のチャックはパッカーンと開きっぱなしの件について、ちょっと思いを馳せてみたいと思う。

そんななんでもみられる昨今の風潮に反し、もう観られないかもしれない「私の幻の作品」についてもちょっと問わず語りをしてみたい。

誰も聞いていない繰り言を垂らすバアさんといえばそんなものだ。

まずは障害物競走のアレコレみたいなんだいろいろをかいくぐり、昨年ぱっかーっと陽の目をみたセミみたいなアノ作品についての諸々個人的騒動を振り返ってみようか。